連載
2022/02/19
大都会ハンブルクに出現した蒸気機関車~思い出のヨーロッパの鉄道紀行~
1990年夏、ドイツでの「撮り鉄」体験
野田 隆
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特別列車は廃線を辿る


「安全上、問題はないのかなあ?」と往路で知り合ったドイツ人の鉄道ファングループに訊いてみた。「走ってみなけりゃわからないさ」
何とも適当である。何事もきちんと計画を立てて物事を実行するというドイツ人気質とは違った一面が見え隠れしている。遊びなのだから多少の冒険はいいのだよ、とでも言いたげだった。
廃線といっても線路は残っている。でなければ、列車は走れない。ともかく草ぼうぼうの朽ち果てる寸前のような線路を列車は最徐行で進んでいく。踏切では、列車は一旦停止し、機関助士が機関車から降り、安全を確認してから、ゆっくりと通過していく。これを何度も繰り返していた。
広々とした廃駅に到着。どこで知ったのか、大勢の鉄道ファンが待ち構えていた。線路際にクルマが何台も停まっていたから、クルマで追いかけての撮り鉄のようだ。当初の予定では、ここで撮影会を行うはずだったが、蒸気機関車が故障してV200形に変更となったので、中止になるという。とくにガッカリした声もなく、2~3分の停車後、列車は南に向かって動き出した。
夕日を浴びながら、列車は淡々と進む。どうやら廃線区間が終わったようで、心なしかスピードをあげて走っている。バート・オルデスローに到着。ここで、リューベック方面からハンブルクに向かう本線に合流。この駅からは朝通ってきた路線を走る。東ドイツから急遽借りてきた蒸気機関車が待機しているとの話があったが、駅は静まり返っていた。鉄道ファングループの一人、小さなカメラを首からぶらさげた大柄な若者がホームに降りてきょろきょろ見回した後、がっかりした表情で車内に戻ってきた。
結局、最後まで蒸気機関車は現れることなくハンブルク中央駅に戻ってきた。ホームに降り立つと車掌が声をかけてきた。旅はどうだったか、と訊いてきた。
「楽しかったけれど、蒸気機関車ではなかったのが残念でした」と応えた。
すると、明朝時間があるなら、ハンブルク・アルトナ駅に来ないかという。今日は間に合わなかったけれど、明日は大丈夫さと自信ありげだ。

そのあたりにはカメラ片手のファンが数人たむろしている。昨日、バード・オルデスロー駅のホームでウロウロしていた大きな若者もいる。私に気づくと、車両基地の方を指さす。見ると煙が上がっているではないか。彼はガッツポーズで得意満面の笑みを浮かべている。
ところが、しばらくすると昨日のV200形ディーゼル機関車がやってきた。全員一斉にブーイング。すかさず、場内放送が入る。「次は蒸気機関車の登場です!」


先に客車に連結されたV200形の前にしっかりと連結される。万一に備えてなのだろう。蒸気機関車とV200形ディーゼル機関車との重連で列車を牽引するようだ。
旧東ドイツ地区から取り寄せたらしくDB(ドイツ連邦鉄道=当時は西ドイツ国鉄)ではなく、Deutsche Reichsbahn (東ドイツ国鉄)の標示板が付いていた。機関車のまわりに人だかりができ、お祭り騒ぎのようになってきたのは日本と同じだ。しかし、ハンブルクのような大都会のターミナル駅でも大混乱するような人出ではない。押し合いへし合いしなくても、ゆったりと写真が撮れるのだ。

朝靄が霧雨に代わり、8月とは思えないくらい気温が下がってきた。汽車の煙が盛大にあがって発車を待っている。蒸気機関車は寒いほうが見ごたえがあるのは言うまでもない。




WRITTEN BY
野田 隆
のだ・たかし
1952年名古屋生まれ。日本旅行作家協会理事。早稲田大学大学院修了。
蒸気機関車D51を見て育った生まれつきの鉄道ファン。国内はもとよりヨーロッパの鉄道の旅に関する著書多数。近著に『ニッポンの「ざんねん」な鉄道』『シニア鉄道旅のすすめ』など。
のだ・たかし
1952年名古屋生まれ。日本旅行作家協会理事。早稲田大学大学院修了。
蒸気機関車D51を見て育った生まれつきの鉄道ファン。国内はもとよりヨーロッパの鉄道の旅に関する著書多数。近著に『ニッポンの「ざんねん」な鉄道』『シニア鉄道旅のすすめ』など。
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