連載

2021/11/24

東武日光軌道、愛宕山鉄道…聖地鉄道の廃線めぐり

鉄分多めの寺社めぐり 「聖地鉄道」の旅⑤

渋谷 申博

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 最後に、前回終着駅の駅舎を社寺風駅舎の傑作として紹介したJR大社線について触れておきたい。

 大社線は出雲市駅と大社駅を結ぶ路線で、国鉄によって大正元年(1912)に開業した。出雲大社への参詣路線であったのでかつては名古屋や大阪からの直通列車も走っていたが、観光バスや一畑電車に乗客を奪われ、平成2年(1990)に廃止された。
旧JR大社線・大社駅にはD51蒸気機関車が静態保存されている

消えた「聖地路面電車」

 現代は戦前よりずっと便利になった、と思いがちだ。しかし、すべてがそうだというわけではない。鉄道を使った参詣旅行に関しては、戦前のほうが便利だったところが少なくない。

 たとえば、成田。現在ではJR成田駅もしくは京成成田駅で下車した参詣者は、参道を歩いて成田山新勝寺へと向かうのだが、かつては新勝寺~成田駅~宗吾霊堂を結ぶ路面電車、成宗電気軌道があった。

 伊勢にも伊勢神宮の内宮と外宮、さらに二見や朝熊山をつなぐ神都交通(のちに三重交通)の路面電車があった。内宮~外宮間や二見へは今もバス便や近鉄線があるので不便はないのだが、朝熊山へはケーブルカーまであった当時のほうがずっと便利だ。同様のことは後述する京都の愛宕山(愛宕神社)にもいえる。

 日光にも路面電車があった。二社一寺(東照宮・二荒山神社・輪王寺)への参詣者などを輸送することを目的して明治41年(1908)に設立された日光電気軌道で、のちに東武鉄道と合併して東武日光軌道となった。
かつては東武日光軌道で東照宮の社頭まで行くことができた
 そのコースがなかなか驚きだ。国鉄の日光駅前から国道119号線を登っていき、神橋のすぐ横で大谷川を渡り二社一寺の門前に出る。そのまま120号線に入って馬返へ。ここで明智平とつなぐ日光鋼索鉄道線(ケーブルカー)に接続。さらに明智平からは明智平ロープウェイで中禅寺湖を見下ろす展望台へ。また華厳滝近くの中禅寺温泉まで連絡バスで行くことができた。

 神橋の横に専用の鉄橋があったというのもびっくりだが、登山鉄道が走るような山岳地を路面電車が走っていたというのにも驚かされる。
 残っていれば世界遺産の環境保護の面でも役に立っていただろうと思うのだが、自動車の通行の邪魔になるなどの理由から、昭和43年(1968)に58年の歴史に幕を下ろした。
 今、その車両は東京都墨田区の東武博物館で見ることができる。
東武博物館に保存されている東武日光軌道200形

大店の旦那も楽に愛宕山に登れた愛宕山鉄道

「愛宕山」という落語をご存知だろうか。花街での遊びに飽きた旦那が芸妓や舞妓、幇間を引き連れて、京都市西部の愛宕山を登るという話である。東京でも演じられるが、やはり上方のほうがお囃子が入ってお大尽の遊びらしい雰囲気があっていい。

 この話では旦那や芸妓・舞妓がひょいひょいと山を登っていくので大したことないと思ってしまうが、愛宕山登拝は登り下りに5時間以上かかるハードな行だ。愛宕山の参道(登山路)には「遭難者多数」と書かれた看板まであり、落語のような遊び半分では到底登れない(もっとも落語では中腹までしか語られないので、旦那一行が山頂の愛宕神社までお参りしたかはわからない)。
今は徒歩で登るしか参詣する手段がない愛宕山頂の愛宕神社
 しかし、昭和4年から19年までの15年間は、芸妓・舞妓を連れた旦那でも愛宕山に楽に登ることができた。愛宕山鉄道があったからだ。

 愛宕山鉄道の始発駅は、嵐電の終着駅・嵐山駅。ここから北へ、清凉寺の脇を通って清滝駅まで平坦線(路面電車)が続いていた。現在、この路線はバスが走っている。清滝からは鋼索線(ケーブルカー)が山頂近くの愛宕駅まで結んでいた。
清滝バス停(かつてこのあたりに愛宕山鉄道平坦線の清滝駅があった)
 この鋼索線は全長が2135メートルあり、日本一の長さを誇った(現存していれば今も日本一だ)が、11分で愛宕駅まで登ったというから幇間をからかう間もなく山上に上がれたわけだ。

 愛宕山鉄道は愛宕山にホテルや遊園地、スキー場などを整備し、リゾート開発を行った。ところが、戦時中に戦争遂行に不必要な不要不急路線だとされ、廃線に追い込まれてしまった。リゾート施設も鉄路がなければ経営は成り立たず、同時期に閉鎖された。

 もし愛宕山鉄道が存続していたら、愛宕山は東京の高尾山以上の賑わいをみせていたことだろう。嵐山周辺の観光事情も大きく変わっていたに違いない。
 鋼索線の遺構は今も参道脇に見ることができる。大汗をかきながら登った筆者は、それを横目で見ながら鋼索線さえ存続していたら楽だったのにと何度もぼやいたのだった。
愛宕山山道脇に残る愛宕山鉄道(鋼索線)の軌道跡

京王線が高尾に向かっていなかった頃の話

 今や世界的な観光地となった感がある高尾山。ここを訪れる人の多くが京王高尾線を使っている。しかし、京王線が高尾山に至ったのは戦後のことで、戦前は別の場所へ向かっていた。

 意外に思われるだろうが、それは大正天皇陵(多摩御陵)であった。路線名も御陵線といい、御陵への参詣者の輸送を目的としていることを名前でも示していた。

 陵が築かれた昭和2年から10年代にかけて大正天皇陵は一大観光地だった。当時の京王電車(現・京王電鉄)の沿線案内図を見ると、陵は高尾山を圧するほどの大きさで描かれており、いかに人気スポットであったかがわかる。歴史上初めて関東に造られた天皇陵であったことに加えて、郊外のピクニックにちょうどいい距離感でもあったのだろう。現在は大正天皇皇后・昭和天皇・同皇后の陵も築かれ武蔵陵墓地と呼ばれているが、厳かでありながら明るく清々しい聖地となっており、当時の人気もうなずける。
古墳時代を思わせる上円下方墳の大正天皇多摩陵
 御陵線のコースは今の高尾線と同じく北野駅で京王線から分岐して、国鉄中央線・甲州街道・南浅川を高架で越えて御陵に向かうというものであった。その遺構はわずかに橋脚を2つ残すのみとなっている。
宮廷風の駅舎もあった京王御陵線も今や2つの橋脚を残すのみだ
 最後に、前回終着駅の駅舎を社寺風駅舎の傑作として紹介したJR大社線について触れておきたい。

 大社線は出雲市駅と大社駅を結ぶ路線で、国鉄によって大正元年(1912)に開業した。出雲大社への参詣路線であったのでかつては名古屋や大阪からの直通列車も走っていたが、観光バスや一畑電車に乗客を奪われ、平成2年(1990)に廃止された。
創建は神話の時代にさかのぼるという出雲大社
 大社駅駅舎が建築としてすぐれていて重要文化財に指定されたため、駅舎周辺のみは当時のまま残されている。ホームに立っていると、いつか列車が来るのではないかという錯覚にとらわれる。それだけに寂しさもひとしおだ。
今にも列車がやってきそうなJR大社線廃線跡。
(5回にわたる連載におつきあいいただき、ありがとうございました。聖地鉄道について少しでも興味をもたれたのなら、拙著『聖地鉄道めぐり』(G.B.刊)もお読みいただければと願っております)
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WRITTEN BY

渋谷 申博

しぶや・のぶひろ
1960年東京都生まれ。早稲田大学卒業。

神道・仏教など日本の宗教史に関わる執筆活動をするかたわら、全国の社寺・聖地・聖地鉄道などのフィールドワークを続けている。
著書は『図解 はじめての神道と仏教』(ワン・パブリッシング )、『一生に一度は参拝したい全国のお寺めぐり』、『聖地鉄道めぐり』、『秘境神社めぐり』、『歴史さんぽ 東京の神社・お寺めぐり』、『一生に一度は参拝したい全国の神社』、『全国 天皇家ゆかりの神社・お寺めぐり』(G.B.)、『神社に秘められた日本書紀の謎』(宝島社)、『諸国神社 一宮・二宮・三宮』(山川出版社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』(日本文芸社)など多数。

しぶや・のぶひろ
1960年東京都生まれ。早稲田大学卒業。

神道・仏教など日本の宗教史に関わる執筆活動をするかたわら、全国の社寺・聖地・聖地鉄道などのフィールドワークを続けている。
著書は『図解 はじめての神道と仏教』(ワン・パブリッシング )、『一生に一度は参拝したい全国のお寺めぐり』、『聖地鉄道めぐり』、『秘境神社めぐり』、『歴史さんぽ 東京の神社・お寺めぐり』、『一生に一度は参拝したい全国の神社』、『全国 天皇家ゆかりの神社・お寺めぐり』(G.B.)、『神社に秘められた日本書紀の謎』(宝島社)、『諸国神社 一宮・二宮・三宮』(山川出版社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』(日本文芸社)など多数。

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