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【神様の分類③ 森羅万象に宿る民俗神】

 神社で祀られる神様は記紀神話に登場するものばかりではない。記紀編纂以降に信仰が広まった神様もあれば、特定の地域だけで信仰されてきた神様もある。
 民衆の間で信仰された神様も記紀には登場しない。その中でも代表的な存在がエビスだ。エビスは漁民の間で信仰される神であったが、財神の性格ももつようになって商人の間にも信仰が広まった。
 エビスは後に、室町時代には大黒天とともに福神(幸運をもたらす神)として信仰されるようになり、やがて七福神へと発展した。民間信仰の神様は、神社では違う名前で祀られていることがある。たとえば、西宮神社ではエビスのことを蛭児大神(ぜびすおおかみ)としてお祀りしている。
 このほかに民間で信仰された神に、竈の神の荒神(こうじん)(三宝荒神)、集落に悪霊などが入るのを防ぐ道祖神(どうそじん)、正月に訪れる年神(歳徳神)、稲作を守る田の神、穀物の神で蛇身人頭の姿で表される宇賀神、東北地方で信仰されている蚕の神オシラサマ、船に祀る船霊(ふなだま)などがある。この中で道祖神は記紀神話に登場する猿田毘古神(猿田彦神)として神社に祀られることがある。

エビス 豊漁の神から財運の神に

恵比寿・戎などの字が当てられる。豊漁をもたらす神として漁民などが信仰していたが、市場にも祀られたことから商売・財運の神ともされるようになった。神社では記紀神話の神として祀るが、美保神社が事代主神(ことしろぬしのかみ)とするのに対し西宮神社では蛭児大神(えびすおおかみ)とする。
ご神徳:大漁豊作 海上安全 商売繁盛など
お祀りする主な神社:西宮神社(兵庫県西宮市) 今宮戎神社(大阪市浪速区) 美保神社(島根県松江市)など

稲荷神(いなりしん) 豊穣を司る田の神

もともとは平安遷都以前に京都を開拓した秦(はた)氏の氏神であったが、各地の田の神信仰などを取り込んで全国に信仰が広まった。中世以降に市場経済が発展すると商業神としても信仰され、商家で祀ることが多くなった。なお、豊川稲荷は仏教系の信仰である。
ご神徳:五穀豊穣 商売繁昌 財運向上など
お祀りする主な神社:伏見稲荷大社(京都市伏見区) 祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市) 笠間稲荷神社(茨城県笠間市)など

外国や異教の出身も…八百万の神々はさまざまな由来をもつ

 日本の文化は縄文・弥生時代から海外の影響を受けてきた。このためすでに記紀神話や『風土記』にも天之日矛命(あめのひぼこのみこと)という新羅(しらぎ)出身の神様のことが述べられている。『古事記』で大年神の御子として語られている韓神(からがみ)・曽富理神(そふりのがみ)も朝鮮系の神ではないかといわれている。
 また、秦(はた)氏や漢(あや)氏といった渡来系氏族が故国の神を祀っていたことも知られている。
 日本にはさまざまなものに神が宿るとする〝八百万の神〟の信仰があったため、異国の神も受け入れやすい土壌があった。仏教も日本に伝わった時には「蕃神(ばんしん)」(異国の神のこと)と呼ばれていた。
 道教や陰陽五行説とともに日本に伝わった神もいる。恵方(年ごとの縁起がいい方位)を司るとされる歳徳神や、陰陽師の安倍晴明が駆使したという式神(鬼神の一種)もそうした神である。七福神の福禄寿と寿老人も道教から取り入れられた神様である。
 日本古来の神も個性豊かだ。
 太陽の神・天照大御神、月の神・月読命、火の神・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)、風の神・志那都比古神(しなつひこのかみ)、山の神・大山津見神(おおやまつみのかみ)、海の神・綿津見神(わたつみのかみ)のように自然に由来する神が多いが、 経津主神(ふつぬしのかみ)のように剣で物を斬る音に由来する剣の神もいる。建御雷神(たけみかづちのかみ)という武神は、雷と剣の両方の性質をもっている。『古事記』には田に立つカカシも久延毘古(くえびこ)という神様として登場する。
 特定の職業に関わる神様もいる。金山毘古神(かなやまびこのかみ)・金山毘売神(かなやまびめのかみ)は金鉱や金工の神、伊斯許理度売命(いしこりごめのみこと)は鏡を作る技術者の神、玉祖命(たまのおやのみこと)(天明玉命(あめのあかるたまのみこと))は勾玉(まがたま)を作る一族の神様である。
 また、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と神産巣日神(かみむすひのかみ)はものを生み出す力を神として表したもの。思金神(おもいかねのかみ)は考えることや知識を象徴する神である。宇宙の中心(にいること)を表す天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という神様もいる。

七福神は3カ国混成チーム 「七福神宝船」都立中央図書館特別文庫室蔵
  • 毘沙門天(びしゃもんてん): 仏教の護法神。四天王の一神で、多聞天(たもんてん)ともいう。甲冑で身を固め、右手に三つ叉の矛、左手に宝塔を持って怒りの表情をみせる。福々しい容姿の七福神の中にあって例外的な存在だが、財神としての性格もある。
  • 弁財天(べんざいてん): インドの川の女神サラスヴァティが仏教に取り込まれたもので、琵琶を抱く天女の姿で表される。弁才天または弁財天とも表記するが、七福神では財運を強調して弁財天と書かれることが多い。音楽・芸能の神ともされる。
  • 恵比寿(えびす): 恵比須・戎・夷とも書く。大黒天と並ぶ代表的な福神。室町時代頃より大黒天と並べて祀る風習が生まれたのは、西宮神社のご祭神・夷三郎が恵比寿と大国主神のこととされたことに由来するという。
  • 寿老人(じゅろうじん): 鹿を連れ長寿の象徴の桃を持つ老人。福禄寿と同じ神だともいわれ、長頭の老人を寿老人とすることもある。寿老人を七福神に加えず吉祥天(きっしょうてん インドの美と繁栄の女神)か猩々(しょうじょう 猿のような霊獣)とすることもある。
  • 福禄寿(ふくろくじゅ): 道教の神様の南極老人に由来するとされる福の神。道教で重視するご利益、幸福・封禄(財産)・長寿をもたらすとされる。長い頭をもった老人の姿で表され、経典を下げた杖を持ち、鶴を従えていることがある。
  • 大黒天(だいこくてん): 恵比寿と並ぶ代表的な福神。もともとはヒンドゥー教のマハーカーラという三面六臂の財神で、仏教とともに日本に伝わった。日本では大国主神の信仰と習合し、大きな袋と打出の小槌を持って米俵に立つ姿になった。
  • 布袋(ほてい): 唐時代(10世紀頃)の中国に実在したとされる禅僧。釈契此(しゃくかいし)という名前だが、常に袋を持ち歩いていたので布袋と呼ばれたという。中国では弥勒菩薩の化身として信仰されている。太鼓腹で大きな袋を持っているのが特徴。

【神様信仰の変遷】 求められるご利益は時代とともに変化した

江戸時代に流行した伊勢参宮はおかげ参りとも呼ばれた。庶民の参詣でごった返す様子が描かれている。「伊勢参宮略図」(三枚続) 国立国会図書館蔵

 神社は日本各地で自然発生的に成立し地域独自の信仰を伝えていたが、中央集権的な体制が整ってくると、全国の神社も朝廷が統括することとされた。
 しかし、遠方の神社を直接管理するのは難しいため、神祇官(じんぎかん)が管轄する官幣社と国司(こくし)が管轄する国幣社に分けられた。現存最古の神社リスト『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』(927年)によれば、官幣社は573社、国幣社は2288社である。これらの神社を式内社という。
 式内社の多くは今も現存しているが、その信仰は大きく変貌している。國學院大學 研究開発推進機構日本文化研究所 所長の平藤喜久子さんによると、「それぞれの歴史の中で、ご利益など求められるものが変化していった」のだという。
 朝廷を支える貴族たちはそれぞれの氏族の神、氏神を信仰していたのだが、平安時代になると疫病や災害が起こらないように御霊(ごりょう)すなわち怨みをもって死んだ者の霊を祀る信仰が広まっていった。中でも菅原道真公の霊を祀る天満宮と、疫病を防ぐと信じられた祇園社(八坂神社)が信仰を集めた。
 神道と仏教の信仰を混合した修験道も勢力を増し、熊野や吉野といった山岳の霊場を開発していった。上皇や貴族も遠路を厭わず参拝に訪れた。熊野への参拝者の多さは「蟻の熊野詣で」といわれるほどであった。
 鎌倉時代に入ると信仰の担い手は武士に移り、八幡神などの強い霊威をもつ神を祀る神社が各地に勧請(有力神社の分霊を祀ること)された。
 室町時代にはエビス・大黒などの福神(福の神)の信仰が勃興し、近世には七福神に発展した。「御師(おし)という布教者が熊野三山などの霊験ある神社の信仰を広めていきました。また、学僧らによって、学問の神としての天神(菅原道真公)信仰も広められたようです」(平藤さん)
 また、勇猛な武将を神として祀ることも起こり、豊臣秀吉公を祀る豊国神社、徳川家康公を祀る東照宮などが創建された。
 江戸時代になり庶民の文化が隆盛すると、信仰の担い手も庶民へと移っていった。財運や病気平癒といった現世利益をもつ神(神社)が人気を集め、江戸では稲荷(いなり)信仰が流行した。
 長屋住まいの庶民にとって火災予防は切実な願いであったため、秋葉神社などの火伏の神様も信仰を集めた。
 遠方の社寺への参詣旅行も盛んになり、中でも伊勢神宮が人気を集めた。約60年周期で「おかげ参り」という群衆参拝現象も起き、伊勢神宮は生涯に一度はお参りしたいところといわれた。
 ほかにも金毘羅(こんぴら)大権現(金刀比羅宮(ことひらぐう))や富士山周辺の浅間(せんげん)神社(富士山本宮浅間大社、北口本宮冨士浅間神社など)が多くの参拝者を集めた。

  1. [古代~平安時代] 祟りを恐れた 貴族の時代: もともと貴族たちは一族の氏神を祀っていたが、平安京という大都市で暮らすうちに疫病や災害を起こす祟り神を恐れる信仰が広まっていった。とくに強い怨みをもって死んだ者が祟りをなすという御霊信仰が流行し、北野天満宮などが崇敬された。厄病除けでは祇園社(現在の八坂神社)が信仰された。
  2. [中世] 武運長久を祈った 武士の時代: 源氏が八幡神を氏神として崇敬したことから武門の神として武士の間に信仰が広まり、各地に八幡神を祀る神社が創建された。伊勢神宮や稲荷・祇園などの信仰も地域を越えて広まるいっぽうで神仏習合も進み、修験者が熊野などで活躍した。
  3. [近世] ご利益もさまざまに 庶民の時代: 近世に入ると信仰の担い手は庶民に移っていった。平和になり経済的余裕ができたこともあって参詣の旅に出る者が増えていった。中でも伊勢神宮が信仰を集め、おかげ参りという爆発的な参宮ブームが周期的に起こった。讃岐の金刀比羅宮も多くの参詣者を集めた。
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平藤 喜久子

ひらふじ きくこ 國學院大學神道文化学部教授・日本文化研究所所長。 学習院大学大学院博士課程後期修了、博士(日本語日本文学)。専門は神話学。 著書に『神社ってどんなところ?』(筑摩書房)、『日本の神様 解剖図鑑』(エクスナレッジ)、『神の文化史事典』(白水社・共著)などがある。

  1. なぜ日本の神様はバラエティ豊かなのか?|エビス様、稲荷様、天神様etc. 人気の神様のプロフィールとご神徳

  2. 5分でわかる 神社の作法と基礎知識|境内にあるもの、授与品の扱い方etc. 神社参拝の基本をおさらい

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