雑誌『一個人』2025年7月号の連載記事を本サイトにも掲載しております。内容は雑誌発行当時のものです。
執筆◉宗教学者・作家 島田裕巳、イラスト◉棚沢太郎
歌舞伎座では、毎年5月「團菊祭(だんきくさい)」の興行が行われる。團菊とは、歌舞伎の近代化に貢献した九代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)と、世話物(せわもの)を得意にした五代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)の功績(こうせき)を讃えるため、1936年からはじまったものである。
1950年には、五代目菊五郎の跡を継いだ六代目菊五郎が亡くなったのを機に、その子弟や門下が結成したのが「菊五郎劇団(きくごろうげきだん)」である。その結果、團菊祭も菊五郎劇団が担になうようになり、そこに歌舞伎の宗家(そうけ)である團十郎が出演する形になった。
その点で、團菊祭は毎年注目の興行になるが、今年は、八代目菊五郎と六代目菊之助(きくのすけ)の襲名披露興行となり、多くの観客を集め、歌舞伎座はかなりの賑わいを見せた。
襲名は歌舞伎役者にとっては最も重要な通過儀礼(※)である。襲名によってその役者は名前に相応しい技量を発揮することを求められる。菊五郎のような大名跡(だいみょうせき)ともなれば、襲名には相当な覚悟が必要である。
(※)通過儀礼…人々の生涯における誕生・成人・結婚・死亡といった節目を通過する際に行なわれる儀礼のこと。成人式では、生と死が隣り合わせである祭礼を行ない、社会的に一人前として認められる。
ただ、新菊五郎の場合、五代目菊之助を襲名したのが1996年5月のやはり團菊祭でのことで、それ以来、29年の歳月が流れている。その点では、もっと早い段階で菊五郎を襲名していて不思議ではなかった。
襲名が遅れたのは、父親の七代目菊五郎が健在だからである。今は脊柱管狭窄症と座骨神経痛で、舞台で満足な演技はできなくなったものの、声には張りがあり、江戸を感じさせる台詞回しにはいささかの衰えもない。
そうした状況のなかで、菊五郎を襲名するには、七代目も別の名前を襲名する必要がある。本人も菊翁(きくおう)や菊扇(きくせん)、あるいは俳名(はいめい)の三朝(さんちょう)を考えたようだが、52年も名乗った名前を変えたくないということで、七代目菊五郎のままとなった。かくして、これは歌舞伎の歴史においてもかつてないことで、七代目と八代目の菊五郎が同時に存在し、同じ舞台にも立つことになった。
しかし私は、実は七代目菊五郎も今回新しい名前を襲名したのではないかと考えている。意外と思われるかもしれないが、それは「七代目」という名前である。
七代目菊五郎の祖父が六代目菊五郎で、「六代目」と言えば、歌舞伎通の間で六代目菊五郎のことをさす。六代目中村歌右衛門(うたえもん)も、戦後の歌舞伎界に君臨した大名優だが、ただ六代目と呼ばれることはない。
六代目菊五郎のことは、谷崎潤一郎の名作『細雪(ささめゆき)』にも登場する。その功績と演技力には定評があり、私の父もよく、「あんたにも六代目を見せたかった」と語っていた。
七代目菊五郎にどの程度そうした考えがあるかはわからないが、「七代目」と言えば自分のことだと思われたい。もしかしたらその意識が働き、だからこそ、別の名前を襲名することをしなかったのではないか。これは私の妄想かもしれないが、七代目菊五郎が、それに値する名優であることは間違いのない事実なのである。