今よりずっと丈が高かった門松
新年おめでとうございます。
いきなりで恐縮だが、みなさんのお宅には門松を立てられただろうか? マンション住まいの筆者としては、建物の入口にあるから不要とするか、やはり何かしらのものをつけるべきか、悩ましいところだ。
この門松、江戸時代には今と形が違っていた。
以下に『江戸名所図会』と『東都歳時記』の正月風景の図を掲げてみたが、屋敷の前に葉が茂った丈の高い竹が立てられているのがわかるだろうか。これが当時の門松である。
昔の門松は、なぜそんなにも高かったのか。それは、神が降臨する時の目印とするためのものであったからだ。
そもそも正月とはそれぞれの家で年神(歳神・正月様)を迎えてお祀りするものであった。この年神が迷わずに家に来られるよう立てるのが門松で、いわば年神の依り代なのである。
したがって立てられる場所も門前とは限らず、農村部では中庭ということも多かった。
庭では門松ではないではないか、と思われるかもしれないが、民俗学者によると「かど」は門の意味ではなく庭のことだそうだ。門松と呼ばず、お松様とか正月様というとこともあるという。
門松を依り代として降臨してくる年神
本来は門松に使う松は、自分で採ってくるものであった。しかも、採ってくる日も煤払い(大掃除)同様、12月13日とおおむね決まっていた。
つまり、門松を立てることが正月準備の始まりを意味するものであったのだが、時代が下がるにつれて立てる時期が年末にずれ込んでいった。
また、江戸のような都市部では松や竹を自分で調達するのは難しいので、年の市などで購入することが一般化した。
さて、門松を依り代として家々に降臨してきた年神は、家の中に招き入れられ鏡餅に鎮座する。
鏡餅という名は丸い形が昔の鏡に似ていることによるが、ただの鏡ではなく神社でご神体とされる鏡になぞらえているとみてよいだろう。
1月20日あるいは小正月(15日)に鏡開きを行って、鏡餅を小豆粥などにしていただくが、これは、神が宿って神聖な力をもった餅を食べることによって神の力をわけてもらう儀礼なのだ。
なお、仏教民俗学者の五来重先生によると、鏡餅を供える習俗はお寺の正月儀礼である修正会(しゅしょうえ)から始まったものという。