京の台所とも呼ばれる錦市場の突き当たりに鎮座する「錦天満宮」も歴史は古い。
その起源は菅原道真公の生家に長保5年(1003)に創建された「歓喜寺」にあるとされ、豊臣秀吉が行った都市改造に伴って現在地に移転したという。
以後、学問・学芸の神さまとして崇敬されてきたが、場所柄、商売の神さまとして信仰する人も多い。
境内には名水として名高い錦の水が湧いており、これをいただくと知恵や商才が身につくとされている。
東京都国立市の「谷保天満宮」は菅原道真公の第三子道武公が配流されたところで、道武公が父を思って刻んだ像をお祀りしたことに始まるという。建治3年(1277)には宇多天皇より「天満宮」の勅額も賜わっている。
以後、関東の武士などの信仰を集めたが、次のようなユニークなエピソードもある。
江戸時代、神無月と呼ばれる10月に目白で開帳を行ったところ、大田蜀山人が「神ならば出雲の国に行くべきに 目白で開帳やぼのてんじん」という狂歌を作り、ここから「野暮天」という言葉が生まれた、というものだ。
ちょっとトホホな逸話であるが、これは「谷保天満宮」が庶民にも親しまれたことを示すものといえよう。霊験が信じられていたからこそ、こんな軽口も広まったのだ。
さあ試験本番まであと少し。
受験生のみなさんには、自らの努力と神仏を信じて難関を突破していただきたい。
2