一個人:公式WEBサイト

新着記事

元NHKキャスターが福祉の道に内多勝康さんインタビュー

取材・文/横関寿寛 撮影/増本雅人

『首都圏ニュース845』『クローズアップ現代』など、人気番組でキャスターを務めた”NHKの顔”が後半生に向けて選んだ福祉の道。「もみじの家」の運営にとどまらず、本の執筆や全国の医療的ケア児者家族会の創設に携わるなど、活躍の場を広げる。しかし、本人は極めて自然体だ。常に自身がやりたいことを追い求める彼に、今、一個人として話を聞いた。


 東京・世田谷区にある国立成育医療研究センターの医療型短期入所施設「もみじの家」。この施設のハウスマネージャー、つまり職場長を務めるのが内多勝康さんだ。この名前にピンと来る人もいるかもしれない。さらに顔を見れば今度は多くの人が「あっ!」と思うだろう。NHKの朝の『生活ほっとモーニング』から報道番組の『首都圏ニュース845』『クローズアップ現代』などでキャスターを務めていた内多さんは、30年間務めたNHKを2016年に退職。53歳でもみじの家のハウスマネージャーに転職したのだ。

「僕ね、定年後に福祉のおじさんになりたかったんですよ」

 華やかなテレビの世界から、福祉の世界への転身。異例のキャリアチェンジを数々のメディアが取り上げたが、本人にとっては至って自然な気持ちの流れだった。「ここにいる子供たちに豊かな時間を演出してあげられたらなと。そのためには何が必要かというのを、スタッフの声を聞きながら子供たちが喜ぶ環境を作る役割。そうした環境の中でニコニコしているおじさん。それが今の僕の仕事です」さらに内多さんの仕事に触れる前に、もみじの家とはどんなところなのかの説明が必要だろう。

医療的ケア児を支える「第2の家」

 もみじの家とは一言で言えば、「医療的ケア児」と呼ばれる子供と家族を受け入れる医療型短期入所施設だ。医療的ケア児とは、呼吸障害や心不全、低出生体重、早産などの様々な理由で、出生直後から早期の治療を行う「新生児集中治療室(NICU)などに入院し、退院した後も引き続き医療的ケアが必要な児童のこと。厚生労働省によると全国で約2万人いると推計されている。「ここにやってくるのは、ほとんどが24時間のケアが必要な重い病気を持った子たちです。医療的ケアが必要な子供は、通学の際に付き添いが必要になるなど家族の負担が重くなりやすく、親だけでなく兄弟姉妹の生活も制限され、家族全体が社会から孤立してしまうケースもあります。家族の個々の希望に沿えるよう、もみじの家では医療的ケア児だけで宿泊することもできますし、家族が一緒に宿泊することもできるようにしています」もみじの家がどうやって利用されているかを聞けば、どんな施設かより理解しやすいかもしれない。「家族みんなで泊まって、朝になるとお父さんが出勤し、仕事が終われば帰ってくる。また親戚や友達が遊びに来てもいいし、普段は自宅に来る訪問授業の先生がやって来ることもあります。目的も何だって構いません。家族が疲れを癒すため、普段はなかなか行けない病院に行くため、法事で遠方に赴く、普段あまり構ってあげられない他の兄弟姉妹と遊ぶ。一般的に当たり前なことですら医療的ケア児がいる家族にとっては出来ないことが少なくないので、どんな理由であってももみじの家は利用可能なのです」医療的ケア児を預かり、親に代わって24時間体制で見守る「第2の家」として開設されたのがもみじの家なのだという。そのハウスマネージャーを内多さんは務めているのだ。ではハウスマネージャーとはどんな仕事なのかという疑問が次に沸く。内多さんによれば大きく分けて3つあるという。

①「事業に関わる計画立案やマネジメント」
②「広報」
③「寄付や補助金の呼びかけ」

 なるほど、施設のマネジメントとはそういったものなのかとなんとなく分かる。より詳しく言えば、①は施設の利用者数とそれによって収入と支出がどうなるかといった収支見込から年間計画をまとめ、実際の運営に当たる。②はホームページとSNS、ニュースレターを随時更新・制作しながら施設の情報を発信し、外部の問い合わせにも答える。③は施設の運営に必要な寄付金や補助金の制度を呼び掛ける。「お金」にまつわる仕事だという。どれもこれも施設を運営・維持し、より多くの人に利用してもらうのに必要な仕事だ。これらをこなしてこそ「子供たちが喜ぶ環境」が出来る。そんなもみじの家について内多さんは、「夢のような転職先」と語る。なぜそうまで言い切れるのか。まずは内多さんと福祉の世界との関係は昨日今日に始まったものではないということがある。話は内多さんがNHKに入局してから、最初の赴任地だった高松局時代にまで遡る。

NHK時代から取り組み続けた福祉へのミッション

「地元のボランティア協会が主催するイベントは、毎年NHKの新人アナが司会をするのが習わしでした。そこで当然、僕がこれを任されたわけですが、そこの事務局長が脳性麻痺の女性でした。それまで僕の周りには障害のある人がいなかったので、コミュニケーションがうまく取れるのか、正直に言えば不安でした。でもそれは最初だけで、会話の中に時々ギャグを放り込んでくる面白い人なんだと分かりました。イベント後も福祉に関する番組企画を提案するためのリサーチのためちょくちょく協会に足を運びましたね」その後、福祉の世界に関心を持ち続け、折に触れては番組の企画を提案し、ドキュメンタリー番組の賞を取ったことも。一方で、NHK職員として長年勤めてふと自身のキャリアを振り返ってみると、ピークは過ぎているように感じ、後進に道を譲る時期にきたと感じていた。40代後半の08年に命じられた名古屋勤務が予想外に長引いた時「一生懸命働くのもむなしいな」とすら思うこともあった。そうして名古屋時代の47歳、社会福祉士の資格を取るために通信制の専門学校に入学し、50歳になる年に資格取得を果たした。だからもちろんNHKを退職・転職という大きな決断はあったものの、内多さんにとって福祉の道に入ることは急なことではなかった。加えて、働き場所として申し分ない。もみじの家の母体は、小児科や周産期の分野では日本最大級の規模を誇る医療機関で、最大の使命は「難病などに苦しむ子供を、高度先進医療によって治療し救命すること」とされている。そしてその高度な医療体制をバックに、「重い病気を持つ子どもと家族に対する新たな支援の仕組みを研究開発し、全国に広める」というミッションを果たすものとしてもみじの家が創設された。新しく立派な建物は職場環境としても最高。順風満帆な出だしのはずだったのだが……

未知の世界に悪戦苦闘の毎日

「開設式典から10日後の4月25日、利用者第1号の家族がやって来たときはとてもワクワクしました。ところがオープン直後は余裕をもって3名までとしていた定員がぜんぜん埋まらなかったのです。赤字続きではマネージャーとして失格です。ただこれはスタッフとアイデアを出しながら何とか手を打ち、1年が経った頃にはなんとか波に乗ることが出来ました。ところがそれとは別に、ハウスマネージャーとしての仕事で必要なパソコンスキルで、いかに自分がポンコツなおじさんかということを思い知らされたのです」NHK時代はパソコンもワードを使えるだけで事足りた。ところが、今は施設の責任者だ。現場関係者で行う「コア会議」に病院幹部を交えた「定例会」、そのほかにも続々と行われる会議に提出する資料が満足に作れない。毎日エクセル・パワーポイントの画面と格闘し、終電間際に帰る日々。「もうそれでヘトヘトですから、専門用語が飛び交う会議でついうとうとしてしまって怒られるなんてことも」だが苦闘の甲斐あって、今ではパソコン作業などはむしろお手の物。それよりも6年以上を経て、ハウスマネージャーとして誇れる仕事を成したことに達成感を感じている。障害福祉サービス費の報酬改定で成果を残せたことだ。「施設の持続可能な運営には、国が公的に定める『障害福祉サービス費』という報酬の充実が欠かせません。これは3年に1度改定されるのですが、その中でももみじの家が開設以来力を入れてきた、遊びや学びをサポートする『日中活動』を評価してもらう必要がありました。加算が認めてもらえないと、日中活動は施設の持ち出しになってしまうからです。そしてこれを何とか認めてもらうことが出来たのです」こうした苦労を振り返り、内多さんは「大変さを知らなかったから思いきれたのかも」と言う。「実際に現場に足を踏み込まないと分からない誤算や困難はいくらでもあります。後悔しても後の祭りです。ですが知らないから思い切ったことも出来るし、無謀なチャレンジも出来る。他の場所に身を置くというのは、そういうものなんじゃないかと思います」

内多さんが取り組み続ける「ソーシャルアクション」とは

 そんな内多さんが福祉のことを学ぶ中で、感銘を受けた言葉がある。「ソーシャルアクション」というものだ。社会福祉士の重要な任務は、支援が必要な人から相談を受け、その人に対し必要なサービスを結びつけることにある。ところが制度が必ずしも整っておらず、必要なサービスが見当たらないこともある。その場合、行政や世論に働きかけて必要な制度やサービスを作る。それがソーシャルアクションだ。それは番組を通じて世間に何かを訴えかけるテレビの世界にも通じるものがある。そして今では、より具体的にソーシャルアクションを実践できる現場に内多さんはいる。その大きな成果の1つが、今述べたばかりの「日中活動支援加算」の新設だった。今後は、その流れを大きくしていくことが新たな課題となる。また施設運営が安定して気持ちに余裕ができたことで、19年3月には東京都の「医療的ケア児者親の会」の発足にこぎつけることが出来た。「もみじの家が大切なのは言うまでもありませんが、もみじの家の外の世界にも積極的に目を向ける必要があると思ったのです。では具体的に何をするか。利用者の母親から親同士で意見交換をできる場が欲しいという声を聞いていたので、最初は何人かに声をかけて集まるという軽い形からはじまりました。すると話が盛り上がり、家族の声を行政に届けて解決していきたいということに。バラバラの声だと行政に届きにくいし、まとまった声の方が行政も向き合いやすいだろうということで、家族会の立ち上げに至ったのです」そうなると次に起こすべきアクションも自ずと見えてくる。だが「あまり遠い先のことまで考えるのは好きではない」と内多さんはいう。「中長期で計画を考えてもあまり実効性はないんじゃないかと考えちゃうんですよね。それよりも例えば2年後の報酬改定のことや家族会で今後どういうアクションを起こしていけるかといった、現状がこうだからこうして行きたいってことを堅実に継続していければいいと思っています」淡々と語る姿はあくまで控えめ。だからこそ逆に、秘めたる実行力の強さが垣間見られるのだった。

RANKING

DAILY
WEEKLY
MONTHLY
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3

RECOMMEND

関連記事