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子を谷底に落とす「連獅子」親子共演で見せる通過儀礼【宗教学からみる歌舞伎 第6回】

雑誌『一個人』2025年5月号の連載記事を本サイトにも掲載しております。内容は雑誌発行当時のものです。
執筆◉宗教学者・作家 島田裕巳、イラスト◉棚沢太郎


今、毎月のように歌舞伎座に出演している四代目尾上松緑(おのえしょうろく)が、その5階にある歌舞伎座ギャラリーで2017年から行っていたトークイベントが「紀尾井町夜話(きおいちょうやわ)」だった。現松緑の祖父である二代目松緑が紀尾井町に住んでいたことから、松緑家につらなる役者には、「紀尾井町!」という大向(おおむこ)うがかかるからである。

私もそれを一度見たように記憶しているが、コロナ禍になってから、それは紀尾井町夜話特別篇「紀尾井町家話(やわ)」となってネットで有料配信されるようになった。こちらは、たびたび視聴している。2025年3月18日で165夜を数えているから、相当の人気番組になっている。100夜などの節目には、有観客でも開催されている。

紀尾井町家話では、松緑が席亭(せきてい)となり、ゲストを呼んで話をするのだが、最近、歌舞伎役者の通過儀礼(※)ということで、松緑が興味深い話をしていた。

(※)通過儀礼…人々の生涯における誕生・成人・結婚・死亡といった節目を通過する際に行なわれる儀礼のこと。成人式では、生と死が隣り合わせである祭礼を行ない、社会的に一人前として認められる。

歌舞伎の演目のなかには、通過儀礼をテーマとしているものがある。歌舞伎十八番の一つに数えられる「勧進帳(かんじんちょう)」なども、その代表であり、義経一行は弁慶の気転で危機を乗り越え、関所をまさに「通過」していく。

もう一つ、通過儀礼としての性格が明確なのが「連獅子(れんじし)」である。これは、舞台を模した「松羽目物(まつばめもの)」の一つで、そこに狂言師右近(うこん)と左近(さこん)の二人があらわれ、舞を披露する。その舞は、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の霊地とされる清涼山(せいりょうざん)にかかっている石橋(しゃっきょう)を表現したものである。右近(左近のことも)は親獅子となり左近が子獅子となって、親獅子は子獅子を成長させるためにわざと谷底へ突き落とす。

これは、自力で谷底から上がってきた子だけを育てるという獅子にまつわる伝説をもとにしている。子獅子は、なかなか上がってこないので、親獅子は心配し、谷底をのぞきこんでみるのだが、子獅子は見事上ってくる。

その後、法華宗浄土宗の僧侶が争う間狂言(あいきょうげん)を挟んで、後半では、獅子になった親子が勇壮な毛振(けふ)を披露して幕になる。

こうした演目であるため、実際の親子の役者が演じることが多い。松緑も2023年4月の歌舞伎座で、息子の三代目尾上左近と「連獅子」を踊っている。

松緑は、紀尾井町家話の最近の回で、左近と「連獅子」を踊ってからは、息子のことをどなったりはしなくなったと語っていた。それまでは、息子の演技に対して、かなりきついことばを投げかけていたようだ。

そのときの左近は17歳になっていて、歌舞伎役者として独り立ちする時期に差しかかっていた。親がやかましく指導を続けていれば、独り立ちも難しい。「連獅子」は、踊り手としての技量が試されるし、毛振りも大変だ。演目のテーマがそうであるように、役者にとって成長振りが如実に示される。松緑は、実際に息子と踊ってみて、左近が通過儀礼を果たしたことをはっきりと認めたのである。

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島田裕巳

1953年東京生まれ。宗教学者・作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(宗教学)。『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『[増補版]神道はなぜ教えがないのか』『葬式は、要らない』など著書多数。

  1. 大名跡襲名の通過儀礼、「七代目」名前への矜持【宗教学からみる歌舞伎 第7回】

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