岐阜県の観光地と言えば、世界遺産白川郷や飛騨高山などが有名だが、今回は知る人ぞ知るとっておきのスポットをご紹介しよう。日本三大山城のひとつ、岩村城跡の眼下に歴史的な城下町を残す恵那市岩村町。そして、200を超える滝と全国でも珍しい高濃度炭酸泉を誇る下呂市小坂町(おさかちょう)だ。歴史と自然、食文化が豊かな両地域は、NEXT GIFU HERITAGE ~岐阜未来遺産~に認定されている今注目のエリアである。
ご一緒してくださるのは俳優の佐々木蔵之介さん。「ドラマのロケなどで各地に旅することは多いけれど、岐阜県は、以前大河ドラマで豊臣秀吉を演じた際に少し足を踏み入れただけ。ほぼ未知の県だからこそ、発見も多いんじゃないかな」と興味津々だ。まずは、「恵那岩村の山城・城下町と農村景観めぐり」編をご紹介する。
NEXT GIFU HERITAGE ~岐阜未来遺産~ とは?
地域の自然環境や伝統文化などを守りながら、観光客の満足度だけでなく、そこに暮らす人々の生活も豊かにする持続可能な観光(サステイナブル・ツーリズム)が、世界の観光のスタンダードとなるなか、岐阜県では、サステイナブル・ツーリズムの先進的取組みであり、世界から選ばれる旅先になり得る地域・観光プログラムを「NEXT GIFU HERITAGE ~岐阜未来遺産~」として認定。現在、飛騨小坂と恵那岩村を認定している。
特設サイト:https://www.kankou-gifu.jp/article/detail_205.html
レトロな「明知鉄道」に乗って、別世界へタイムスリップ
旅はJR恵那駅から始まった。ここで地元の第三セクター明知(あけち)鉄道に乗り換える。鉄道ファンが遠方からわざわざ乗りに来るというレトロな列車だ。
のどかな田園風景、雑木林のトンネルを抜けた先にある岩村駅で降りると、そこはいにしえの別世界。江戸時代末期から昭和初期に建てられた建造物が整然と並んでいる。重要伝統的建造物群保存地区として地域住民によって大切に守られている岩村城下町だ。風格ある町並みに、佐々木さんも思わずため息。「これはたまりませんね。こんな場所が今もあったとは」
江戸時代から続く老舗と昭和風情の商店が軒を連ねる。400余年の時を刻む「岩村城下町」
古い建物群はほぼ完ぺきに保存されているが、ここは人の暮らしが今も続く場所だ。他の地方の観光地化された町並みと違い、土産物店の派手な看板などがなく、一般住居と商店がごく自然に並んでいる。昭和の雰囲気漂う洋品店や雑貨店もあれば、江戸時代から続く老舗もある。どの店もお得意様の第一はご近所さんだ。なまこ壁が続く路地、江戸末期の豪商の家なども見て回った後は、この地方の伝統的な軽食やおやつをいただこう。
まずは、甘味処の「かんから屋」に行く。岩村城に殿様がいた時代から続くという3つの味のかんから餅が名物だが、うどんもおすすめだ。京都府出身の佐々木さんはうどんがお好きで、あっという間につるつると完食。「京うどんのダシとはまた違った奥深い味のつゆですね」
五平餅も有名な郷土食だ。つぶして粘り気を出したごはんをかためて串にさし、たれをつけて炭火で焼く。店ごとに味や形が違い、人気店のひとつ「みはら」は小判型でごまだれとネギ味噌。「たれがうまい!」と、ここでも佐々木さんは完食。
もう一軒訪ねた「あまから岩村店」の五平餅は団子状に小さく丸められ、食べやすい。濃厚な味のたれも別途販売されており、いろいろな料理に使えると好評だ。
最後にちょっと西洋風のデザートを。江戸時代に長崎から伝わったカステーラだ。長崎カステラはその後変化したが、「松浦軒本店」では、江戸時代の製法そのままの素朴なカステーラを作り続けている。歴代の徳川将軍が食べていたのも、このようなカステーラだということだ。タイムスリップの町でいただくいにしえのおやつは、また格別の味わいである。
城の歴史とともに歩んだ酒蔵「岩村醸造」で銘酒を味わう
次に訪問したのは、佐々木さんがもっとも関心が深かった「岩村醸造」である。よく知られるように佐々木さんのご実家は京都洛中に古くから続く酒蔵で、演技の魅力に目覚める以前は、家業の後を継ぐべく醸造についての勉強をしていた。俳優になった今も日本酒への関心は人一倍。さっそく店主の渡曾充晃さんにご案内いただいた。
創業天明7年(1787年)。渡曾家が年貢として岩村城に納めていた米を使って造り酒屋を始めたのが起源だ。主要銘酒は「女城主」。戦国時代の一時期、岩村城の実質的な城主であったおつやの方に由来する。織田信長の叔母で美女のほまれ高かったが、城下の人々を守った結果、悲運の最期を遂げた女城主。その姿をイメージした絵がラベルにあしらわれている。
店内にはかつて荷物運搬用に使われたトロッコの線路が残る。京都の町家と同じように間口の広さで税金の額が違ったため、建物はうなぎの寝床のように細長く、蔵は奥深くにある。
線路をたどっていくと井戸がある。今から約400年前に掘られたこの井戸から湧く水と地元岐阜県産の酒造好適米「ひだのほまれ」で、銘酒「女城主」が作られるのだ。建物内を流れる仕込み水が坪庭のようにしつらえられ、えも言われぬ風情をかもし出す。この水も試飲できる。
もう一つ、天正疎水(てんしょうそすい)と呼ばれる用水も流れている。天正時代(1573-1592)に町中に引かれたが、地域住民の保全活動によって今でも生活・防火用水として利用されている。
続いて、完成した酒を瓶詰するための部屋があり、その先が酒蔵だ。米を蒸す樽と、蒸し米と水に麹を入れて発酵させるための金属製の巨大な樽が並ぶ。各所で質問をする佐々木さん。さすが一般人とは知識の深さが違うようだ。はしごを上って発酵中の大樽を覗かせてもらい、「子どものころ、落ちたら死ぬからここで遊ばないようにと言われましたよ」との渡曾さんの言葉に、佐々木さんも大きく頷く。
店舗スペースに戻り、角打ちをさせていただいた。ラベルをチェックする佐々木さんの目は真剣そのもの。女城主は、やはり女性的でまろやかな味わいとのことだ。酒蔵見学については、「いろいろなことが実家と同じ手順とわかり、興味深かったです」との感想もあった。岩村城下町も京都もよい水があるからよい酒ができる。きっとそんな点も同じなのだろう。
女城主がおさめた標高717mの圧巻の山城「岩村城」へ。石垣が語り継ぐ女城主のはかなき願い
城下町の奥にある丘を登り、岩村城跡に向かう。今は石垣だけしか残っていないが、岩村城は日本三大山城のひとつに数えられる名城だ。まずこの城と城下町の歴史を簡単に知っておこう。
文治元年(1185年)、源頼朝の家臣加藤景廉(かとうかげかど)がこのあたりの地頭(じとう)となる。長男の景朝(かげとも)が岩村城を築き、遠山氏を名乗るようになった。時は流れて戦国時代末期、城主の遠山景任(とおやまかげとう)が亡くなり、その養子だった織田信長の五男、御坊丸(ごぼうまる)がまだ幼少だったため、景任の夫人であるおつやの方が事実上の城主となった。信長の叔母と言ってもそう年齢も違わず、とても美しい人だったと伝わる。
そこへ武田信玄配下の秋山虎繁(あきやまとらしげ)が攻めてくる。おつやは籠城するが信長の支援はなかなかやって来ず、虎繁は、おつやが自分の妻となることを条件に攻撃をやめると申し出た。おつやは民の命を守るために敵と結婚する決断をし、数年間、この新たな夫とともに城下を治め、しばらくは平穏に暮らすことができた。
しかし岩村城は敵に乗っ取られた形となり、御坊丸も信玄のもとに人質として送られ、信長はおつやの裏切りのせいだと激怒した。やがて織田軍が攻め入り、おつやとその夫の虎繁は捕えられて磔刑(たっけい)に。これが悲しい女城主の物語である。
江戸時代に入ると、松平家乗(まつだいらいえのり)が城主となり、岩村藩を立藩。以降、明治から大正、昭和にかけて、城下町には商家が並び、現在見るような町並みが形成されていった。他の歴史的な町並みが乱開発や過剰な観光化によって往時の姿を失っていく中、この見事な城下町が丸ごと守られたのは奇跡と言ってもよい。
岩村城は別名「霧ヶ城(きりがじょう)」とも呼ばれる。城内に17か所もの井戸があり、中でも城主専用の霧ヶ井(きりがい)は、秘蔵の蛇骨をここに投げ込むと城は霧に覆われ、敵の攻撃をかわすことができたという。実際にここでは霧が多い。そして、わたしたちが訪ねた日は雨。しかし佐々木さんは感慨深げだ。「雨の中の城歩きもいいものですね。石垣がいっそう風格を増して見えます」。雨の翌朝は下界が雲海に包まれ、天空の城のようになることもあるそうだ。
車だと城のすぐ近くまで行けるが、天気がよければ城下町から徒歩で登るのがおすすめだ。ちょっとした登山だが、途中に石畳や門の跡なども見学でき、城の全貌を想像できる。
守りのための城だったので天守閣はなかったが、二の丸や本丸、櫓などが建っていた場所はわかっている。一番の見どころは六段壁(ろくだんへき)と呼ばれる重層的な石垣だ。江戸時代後期に補強のために石垣を継ぎ足し、今のような姿となった。
城の建物はまったく残っていないが、登城口のあたりに江戸時代の建物がごく一部、他の場所から移築されている。知新館という藩校の門だ。その周辺には藩主邸の太鼓櫓なども復元され、わずかながらも往時をしのぶことができる。
「女城主というと大河ドラマにもなった井伊直虎しか知らなかったけれど、この城には、違う女城主がいたのですね」と佐々木さん。男勝りの直虎とくらべ、おつやの方の生涯はあまりにもはかない。
日本一の農村景観「富田地区」へ。郷土の食の根源はここで育まれる米にある
岩村城下町の隣、「日本一の農村景観」に選ばれた富田地区にも足を伸ばした。山に囲まれた盆地に、地域住民が守り、育てた田園が広がる風景は、まさに稲作の国日本の原風景と言える。展望所からは懐かしい風景を一望できる。
この地区に唯一残っていた茅葺の家が老朽化したことから、NPO法人「農村景観日本一を守る会」が所有して補修を行い、宿泊などで使える施設「茅の宿とみだ」となった。ここで五平餅作りの体験ができる。
炊いたごはんをすりこ木で少し粘り気が出るくらいまでつぶし、串のまわりに張り付けて小判型にする。これを一度焼き、醤油、すりごま、ピーナッツなどを混ぜて作った濃厚なたれをたっぷりつけて再度焼く。初心者がやると崩れてしまって形にならないのもご愛敬だ。
もともと五平餅は村落の集まりなどで食べるごちそうとして、あるいは、お母さんが子どもたちに食べさせるために作ったものだ。いつまでも伝承してほしい食文化の遺産である。
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国際指標を取り入れた持続可能な観光プログラム「NEXT GIFU HERITAGE 〜岐阜未来遺産〜」について
岐阜県ではこれまで、地域が誇る自然や歴史、文化等の資源を掘り起こし、全国に通用する観光資源として磨き上げる 「岐阜の宝もの」認定プロジェクトに取り組んできた。 持続可能な観光(サステイナブル・ツーリズム)が世界の潮流となる昨今、「岐阜の宝もの」の認定基準にサステイナブル・ツーリズムの国際指標を取り入れ、持続可能な観光の先進的取り組みであり、世界から選ばれる旅先となることが期待できる地域・観光プログラムを「NEXT GIFU HERITAGE 〜岐阜未来遺産〜」として認定する新制度を、 2022年6月にスタートした。
認定の条件
① 社会・環境・経済面で持続可能であること
② 国内外からの誘客が期待できること
③ 国際的な評価の獲得を目指すものであること
資源を守り、つなぐ、地域の手
城下町をめぐる 「天正疎水」
400年もの長きにわたって、地域の生活用水・防火用水の役割を果たす天正疎水。地域住民が丁寧に手入れをし、次代に受け継いでいる。
岩村のシンボル岩村城跡の「六段壁」
急斜面に築かれた見事な六段の石垣は、いつ訪れても圧巻だ。それは、関係者らによる草刈りや手入れなど地道な作業があるからだ。
日本の原風景「農村景観日本一地区」
一面に広がる里山を見て、懐かしさを覚えない人はいないだろう。米作りには地域の小学生も参加。一丸となってこの景色を守り、育てているのだ。
佐々木蔵之介◉ささきくらのすけ
1968年2月4日生まれ。京都府出身。神戸大学農学部卒業。岐阜も舞台となった2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では豊臣秀吉役を演じた。近作はドラマ「マイホームヒーロー」(2023年)、映画「ゴジラ-1.0」(2023年)など。
取材協力◉岐阜県 取材・文◉吉田さらさ 撮影◉平山訓生 ヘアメイク◉西岡達也(ラインヴァント) スタイリング◉勝見宜人(Koa Hole inc.) 地図製作◉ジェオ