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腸内環境研究の最先端チームの第一人者が語る腸内細菌叢|ちょい出し『一個人』秋号

 最先端研究において腸内フローラはどこまでわかったのか。健康と疾患を制御する腸内細菌叢というエコシステムについて免疫学と細胞生物学における技術の粋を集めた研究チームにわかりやすく噛砕いていただいた。

健康を保つ上で重要な腸内細菌と共生する人間

 動物の皮膚や粘膜には、膨大な数の細菌が生きていて、私たち人間も細菌と共生しています。特に、人間の大腸に棲んでいる細菌の個体数は40兆以上と言われており、なんと人体を構成する細胞の数よりも多いとされています。生まれる前の胎児の頃は基本的には無菌状態で、産道を通って生まれてくる時にはじめて母親の持っている細菌が移ってくると考えられています。ですから、産道を通って生まれた子供と帝王切開で生まれた子供とでは、生まれた頃は腸内細菌の組成が異なります。アメリカのあるグループは試験的に、帝王切開で生まれた子供にも膣ぬぐい液を塗ることで、産道を通ってきた子供に細菌構成を近づけようとしています。近年では、子供が生まれて最初の何日かは病院で過ごしますから、母親よりも病院によって細菌の構成が変わってくるという話もあります。腸内細菌の構成は3〜5歳前後で大人と同様になり、青年期から壮年期まではほぼ一定で、6070歳の老齢期に入るとまた変わってきます。100歳を越えるような長寿の方の細菌構成は若者と変わらないという研究もあります。人間の生体の働きも腸内細菌によって助けられており、この何十年の研究で様々なプロセスが明らかになっています。
 例えば、人間の免疫系で重要な役割を担っているヘルパーT細胞の中でも、生まれたばかりの子供では抗体を作る役割のTh2細胞が多いのですが、細菌がやってきて体内環境が変わると病原体を殺す役割のTh1細胞が多くなります。人間の正常な免疫システムは細菌によって発達し、本当に身体に害のある病原菌がやって来た時にも機能するようになるのです。また、人間の体内では合成できない必須アミノ酸やビタミンなどを細菌が合成していることも明らかになり、細菌は人間の栄養摂取も支えていると考えられます。ですから偏りのない腸内細菌を持つことは健康を保つ上でとても重要です。人によって「腸内細菌の適正な構成」は異なりますが、病気になると細菌の構成が偏りますし、逆に構成が偏ることで腸などの働きが変化して起こる病気もあるはずです。現在は研究段階ですが、将来的には予防医療・未病の一環として腸内細菌の偏りを早期発見し、健康寿命を延伸させることにも繋つながるでしょう。

ここまでわかった!腸内細菌研究の最前線

 私たちは一言でわかりやすくいえば「腸内細菌と私たちの体との関係」について研究しています。これまでの研究で、腸内細菌が、腸をはじめ人体の様々な部分・機能の健康と疾患に関わっていることが明らかになっています【図1参照】。

 研究では、無菌状態で出産・飼育したマウスを使って動物実験をし、得られた結果を元に人体への応用が可能かを検討していきます。簡単なものでは、肥満の人や腸炎の人の腸内細菌をマウスに移植すると、マウスも肥満になったり腸炎になったりするという実験結果があります。私たちのグループの、腸内細菌と生体プロセスに関する研究から、いくつか面白いものをご紹介しましょう。マウスを使った実験により、ある種類のビフィズス菌を摂ると、病原性大腸菌O157への耐たい性せいが強くなることが分かりました。その理由は、お酢にも含まれている酢酸です。ビフィズス菌は酢酸を作りますが、この酢酸には大腸の細胞を活性化させる効果があり、病原菌への抵抗力が強くなります。ビフィズス菌が大腸で酢酸を作れればO157に強くなるのですが、ビフィズス菌にとっての栄養である糖は生体のいろいろなところで吸収・消費されて、大腸までは一部しか残りません。ですから、生体で吸収・消費される優先順位が低い糖を栄養にするビフィズス菌をマウスに付けると、O157の毒の影響を受けにくくなります【図2参照】。糖尿病に関しても、面白いことが分かっています。遺伝性と言われる1型糖尿病は、血糖値のコントロールをするインスリンというホルモンを作る細胞が、誤って生体の免疫系に攻撃されてしまう自己免疫疾患の一種だと考えられています。
 1型糖尿病になりやすいマウスを使った実験の結果、腸内でルミノコッカスという細菌が増えると免疫が制御され、結果的に糖尿病が抑えられることが分かりました。ルミノコッカスはトレハロースという、キノコ類などによく含まれる糖を栄養にしています。トレハロースを作る寄生虫をマウスに寄生させると1型糖尿病が起きなくなる実験結果が得られており、腸内のトレハロースによってルミノコッカスが増えたと考えられます。人間でも、1型糖尿病の患者の便を調べると明らかにルミノコッカスが少なく、糖尿病が発現するプロセスにルミノコッカスが影響している可能性があります。戦後、日本を含めた先進国では、抗生物質などにより衛生状態が飛躍的に良くなりそれまで悩まされていた感染症が減りましたが、反比例するようにアレルギーや自己免疫疾患が増えました。衛生状態が良くなることでなくなった病気もあるが、増えた病気もあるという衛えい生せい仮か説せつという考え方が昔からありますが、この実験結果は衛生仮説の裏付けのひとつにもなるでしょう。

培養せずに遺伝子配列を取得できる!腸内細菌叢の研究はますます発展

 細菌の研究の利用されるテクノロジーは日夜発展しています。従来は感度の問題で、遺伝子配列を得るためにも細菌を培養する必要がありましたが、最新の次世代シーケンサー(NGS)は感度の向上により、培養しにくい菌や少数菌の遺伝子配列も取得できるようになっています。装置では、データベースと組み合わせることで、例えば便のサンプルの中にどのような細菌がどれだけいるかも決定できて、細菌の研究はこれから飛躍的に進むと期待されています。「細菌」と聞くと、「除菌をしないと」「不潔なもの」という悪い印象を持っている方もまだ多いでしょうが、私たちの健康を保つ上で大切な生物です。細菌と健康の関係については解明されていないことが依然として多く、逆に言えば、これから新たな発見も多いことになりますので、今後の研究にぜひ期待してください。

理化学研究所 生命医科学研究センター 粘膜システム研究チーム チームリーダー 大野博司(M.D.,Ph.D)さん
1958年東京生まれ。91年千葉大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。94年NIH(米国国立衛生研究所)訪問研究員。99年金沢大学がん研究所教授。2004年より現研究所専任に。05年横浜市立大学大学院教授兼任。18年文部科学大臣科学技術賞など受賞多数。

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