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ちばてつや先生「なかなおり絆の大切さ」

「遠い記憶」と「新しい戦前」を迎えた危機をどう乗り越えるか
敗戦とは、平和とはどういうことか。赤い夕日のなかをひたすら歩き、斃(たお)れた同胞20万人以上ともいわれる満州からの生死をかけた逃避行、この塗炭(とたん)の苦しみを決して忘れないために。
戦後、78年目の夏、ともに満州からの引揚者である漫画家の巨匠でしかも現役『ひねもすのたり日記』(小学館「ビッグコミック」連載中)のちばてつや氏パブリックリレーションズの第一人者、井之上喬氏が「平和」を「なかなおり」するという自己修正力の観点から対談した。


取材・文◉山﨑実  写真◉平山訓生 取材協力◉平和記念展示資料館


 現在、ロシアとウクライナの戦争を端緒に、イスラエル・パレスチナ情勢も悪化し、世界は新たな緊張関係を迎えている。また国内でも、所得・世代間格差、正規雇用縮小などの経済問題から社会の分断化も進んでいる。
 漫画家と教育者、ともに次世代へ伝える立場から「なかなおり」をテーマに武力行使による問題解決に臨む世界に対し、どのように人間は向き合い、またこの危機を乗り越えるべきかについて対談した。
 *対談の模様は「なかなおりチャンネル」動画でも見ることができます。

漫画家としての原点——赤い夕日の満洲の記憶

井之上——先生の漫画家としての原点は満洲体験にあったと伺っています。
ちば——父の勤め先が奉天(現・瀋陽)にありました。玉音放送を聞いた時は6歳で、幼い弟が3人いました。この日を境に、日本と中国との立場が逆転し、日が暮れ始める頃、当時「治外法権」だった社宅に中国人が押し寄せ、毎晩のように暴動が起こりました。
 教育召集されていた父が撫順市から戻るや、一家6人での命がけの逃避行がはじまりました。
 私は東京で生まれたのですが、井之上さんも満洲だそうですね。
井之上 父は大連市の副市長でした。当時2歳の私はその記憶がないのです。
ちば 私たち家族は終戦から約1年かけて身を潜めながら奉天から南西部の葫蘆島の港まで300キロ歩き、引揚げしてきました。その途上、幼い私は靴底の釘で足を痛め、ともに逃げた一行からはぐれてしまいました。
 そんな矢先、父の会社の年下の友人で漢詩や競馬を共に楽しんだ中国人の徐集川(じょしゅうせん)さんと奇跡の再会があったのです。
 それから徐さんの物置の屋根裏部屋で息を潜めて暮らし、一冬を越し、葫蘆島の港まで歩き続けました。
 多くの方が途上で行き倒れました。真っ赤な夕日を見ると、いまでも当時の記憶が浮かんできます。

©︎ちばてつや


井之上——屋根裏部屋で弟さんたちに描いた絵物語が漫画家の原点であることも知りました。
 また徐さんとの出会い、友情が戦争を超えての「なかなおりの絆」となったことは大切なことです。
 ちば先生の圧倒的な画力に私も感動して読みましたが、先生の国民的人気作品『あしたのジョー』などの主人公に「ジョー(矢吹丈)」と韻を踏む人物が多いのは徐さんとの思い出だとも言われていますね。また、ジョーのライバル力石徹の減量のシーンは満洲引揚げの記憶から描かれたようですが。
ちば——無意識に優しさの象徴として「ジョー」と読む主人公を描いていたのかもしれません。
 日本へたどり着いたときはみんな、栄養失調で半死半生でしたから、力石徹のリアルな姿は引揚げの体験にあるのでしょう。戦争を経験してますからね。やはり作品のどこかに何かエピソードの中に表現されてしまうんですね。
 戦争というものが身近にあった時代に生きてた原作者の梶原一騎(高森朝雄)さんも私もね、そういう記憶がやっぱり『あしたのジョー』の中に出てきましたね。

逃避行の末、葫蘆島の港に横付けされた引揚船はちば少年にとても大きく見えた。船内で配給された「飯上げ」はすいとんと乾パン。美味しかった©ちばてつや
満洲で暮らした人々の記憶には地平線の彼方に赤い大きな太陽が沈む風景が記憶として残っているという。敗戦を境に中国人との立場が逆転。ちば先生の家族は奉天から葫蘆島を目指し命がけの逃避行を始める道半ばで多くの同胞が斃れた。©ちばてつや

これからの世界で日本人の必要な素養

井之上——私の専門は「パブリックリレーションズ(以下「PR」)」といいまして多様な利害関係者をリレーションシップマネジメントを通じて望むべき関係のあり方を日々考えていくものです。PRの3つの前提として(1)倫理観(2)双方向コミュニケーション(3)自己修正能力があげられます。
 戦後復興から経済成長を遂げた日本社会ですが、最近は「失われた30年」とも言われ、この総括はまだできていません。自分たちの失敗を自己修正できていないのです。
 また、世界はいま、戦争の危機にありますが、その状況を変える力が「なかなおり」という絆の大切さを伝えることだと考えています。とくに、これからの戦争を知らない日本の子どもたちに教育する重要性を感じています。そのために私は、『なかなおり』という幼児教育の絵本を制作しました。
 ちば先生にとって「未来」につながる「なかなおり」体験を教えてください。
ちば——私はだいたい人の言い成りになってしまうほうですから(笑)。
 身近なところでは『あしたのジョー』を制作していた時、梶原さんが怒ったことがあるんです。「私の原作を無視して描いてしまう」と。でも、裏社会の話に知悉していた梶原さんの話は面白いのですが、そのまま漫画にしたら、子どもたち読者には理解できずに「伝わらない」と何度も会って話し合ったんです。
 私は練馬、梶原さんは大泉(ともに練馬区)でご近所同士だったので。はたから見たら揉めていたように見えたでしょうが、逆にその揉めたことで真意が梶原さんに伝わり、納得してくれたことは何度もありました。
 1+1の二人の能力が、話し合いで時に、5にも6にも広がったような素晴らしい成果があがりました。
井之上 創造的なコミュニケーションの理想的なあり方ですね。
ちば——大きな視点では、近隣諸国と仲良くすること、特に、未来に向かって信頼関係を築くことはすごく大切なことだと思います。
 もちろん、過去の歴史は忘れてはいけませんし、謝るべきところは謝ることも大事です。
 しかし、簡単なことではないと承知していますが、加害者・被害者の立場だけで話し合うと、揉めて不信感が高まり取り返しがつかないことになります。
 これからのことを考えると、「俺が俺がの『我』を捨てて、おかげおかげの『げ』で生きよ」など良寛さんの言葉ではないですが、中国や朝鮮半島、アメリカにも文明的にお世話になった。
 そういう近隣諸国の「おかげさま」もあるということに「ありがとう」の感謝の気持ちを持つことで平和は育っていくと思うのです。
井之上——コミュニケーションにおける相互理解とは人と人が対等で初めて成り立つわけです。
 片方が自分の都合だけで強引に話しても、普通に伝わりません。だから今日本と中国、北朝鮮は少し断絶してますよね。お互いに歩み寄ることで大きく関係が良好になると思うのです。日本では、そういう相手を慮る「伝え方」教育ができておりませんので、その技術をきちんと身に着ける必要があります。
ちば——とはいえ、日本人は素晴らしい民族だと思います。長い歴史と豊かな自然と文化に恵まれています。また日本人の周りにはお稲荷さんでも仏様や神様がいっぱいいるじゃないですか。そういう周りのものに感謝しながら生きることが私はとても大事だと思うし、これからの日本を背負って立つ若い人たちがもっとこの、日本の国の良さを知って自信を持ってほしいなと思います。
井之上——まだまだ先生には元気でいただき、今後も活力を与える作品を期待させていただきたいと思います。

「おかげさま」「ありがとう」の感謝の気持ちを持つことで平和は育っていくと思うのです。

ちばてつやさん
漫画家。本名:千葉徹彌。1939年、東京生まれ。両親とともに、旧満州国・奉天(現中国•遼寧省瀋陽)に渡る。敗戦の翌年、引揚げる。56年、プロデビュー。58年『ママのバイオリン』で雑誌連載を始めて以来、現在もなお少年漫画の第一人者として活躍。代表作に『紫電改のタカ』、『あしたのジョー』、『おれは鉄平』など多数。2002年、紫綬褒章、12年、旭日小綬章、14年、文化功労者受賞。22年より日本芸術院会員。現在、小学館『ビックコミック』誌で「ひねもすのたり日記」連載中。

戦争の危機にあるいま、「なかなおり」という絆の大切さを伝えることだと考えています。

井之上 喬さん(いのうえたかし)
日本のパブリック・リレーションズの第一人者。1944年、旧満州国大連市生まれ。「自己修正モデル」の提唱者。(株)井之上パブリックリレーションズ設立代表取締役会長。早稲田大学大学院公共経営研究科博士後期課程終了、同大学客員教授(2004-08)、京都大学経営管理大学院特命教授(12-)。北海道大学大学院客員教授(22-)、博士(公共経営)。(一社)日本パブリックリレーションズ学会会長。
満洲の大連で生まれ、引揚げ時、2歳に満たなかった井之上さんには満洲の記憶よりも戦後の希望を生きる美しい日本の富士山が心に刻まれている。
©Aleksandra Gavrilovic
戦後の成功体験が多様なグローバル社会では偏狭な足かせとなる。自己修正できない危機感から幼児からの倫理観育成を目指し絵本『なかなおり』を上梓した。

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