故人の霊が来る大晦日とお年玉の起源
今では大晦日の夜に出歩くことは珍しくないが、かつては家や氏神社に籠もっているものであった。それはなぜか。死者が訪れる日だからだ。
応徳3年(1086)に編纂された『後拾遺和歌集』には、「十二月つごもり(大晦日のこと)の夜よみ侍りける」という詞書きがつけられた和泉式部の歌がある。
亡き人の 来る夜と聞けど君もなく
わが住む宿や 魂なしの里
『徒然草』にも「晦日(つもごり)の夜、(略)亡き人のくる夜とて魂まつるわざは」と書かれている。
ただし、「亡き人」といっても幽霊というわけではない。ずっと昔に死んだ祖先の霊で、祖霊・祖神と呼ばれる神様の仲間入りをした存在だ。こうした祖霊を年神(としがみ、歳神)という。
夏のお盆の時にも祖先の霊がやって来る。すっかり仏教行事化しているので元の信仰のありようがわかりにくくなっているが、一部の地域の大晦日の儀礼には祖霊信仰の姿が残されている。
たとえば、石川県の奥能登では、年神(ここでは田の神と呼んでいる)を座敷に迎え、ご馳走を供えて歓待する。お風呂を勧めることもある。
歓待に対して年神も返礼をする。それは豊作豊漁の約束であったり、一年の健康であったりするが、年神の神霊を分けてもらうことであり、そこから年玉という言葉が生まれた。これが子どものボーナス、お年玉の起源だ。
こうした年神の訪問の信仰が民話化されたものが「大歳の客」という話だ。「大歳の客」にはさまざまなバリエーションがあるのだが、基本的なストーリーはこうだ。
大歳(大晦日)の夜、貧しい家にみすぼらしい姿をした旅人がやって来て、泊めてほしいと言う。主人公が泊めてやると、翌朝、旅人は黄金に変わっていた。
言うまでもなく、旅人は年神の化身だ。有名な「笠地蔵」の話も、このバリエーションといえる。
年神への信仰が薄れ、福をもたらしてくれる理由がわからなくなったために、主人公の善行に対する神仏の返礼という形に話が変更されたのである。昔、あるところに正直だが貧しいおじいさんとおばあさんが住んでいた。
もう年が暮れるというのに、二人は餅を買う金もなかった。そこでおじいさんが笠を作って市で売ってくることにした。ところが笠は一つも売れなかった。がっかりして帰る道すがら、おじいさんは雪をかぶっているお地蔵さんを見てかわいそうにと思った。そこで売れ残った笠をお地蔵さんにかぶせていくことにした。家に帰りそのことをおばあさんに話すと、おばあさんも「それはいいことをした」と喜んだ。
食べるものもないので二人は早寝をすることにしたが、夜更け過ぎに家の前が騒がしいので目が覚めた。何事かと見に行ってみると、家の前には米や餅、お酒、味噌などの食べ物とたくさんの小判が置かれていた。
「誰がこんなことを…」とあたりを見回すと、笠をかぶったお地蔵さんが帰っていくのが見えた。
この話には多くのバリエーションがあるが、「大歳の客」がたんに黄金といっているのに対し「笠地蔵」はお宝の内容を〝欲しいものリスト〟みたいに列挙する点が特徴的である。
神話的雰囲気を残した「大歳の客」が「笠地蔵」に変貌する際に、庶民の願望が盛り込まれたということなのだろう。