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犬と暮らす幸せが7世代先の子どもたちへも受け継がれますように。|『柴犬ライフ』編集長が伝えたい、犬とわたしたちのこと

 独特の世界観を持った犬種特化型マガジン『柴犬ライフ』(柴犬)、と『BUHI』(フレンチブルドッグ)の編集長を務める小西秀司氏は、なぜ犬の雑誌をつくり続けるのか…。
 この随筆からはその答えやヒントだけではなく、犬と暮らす意味やその先の未来についても考えることができそうだ。

お母さんは簡単に犬を飼わない

 ぼくは動物や昆虫が大好きな子どもだった。家では金魚や亀、カマキリなどを育てていたが、両親からは常に「犬や猫は絶対に飼わない」と釘をさされていた。それでもあの頃の子どもがみんなそうだったように、ぼくもまた、白や茶色のふわふわな仔犬を飼いたいと願っていた。学校からの帰り道、川原や田んぼに捨てられている犬を見つけては両親に報告し、「自分でちゃんと世話をするから飼わせてほしい」といくら頼んでも、「どうせすぐに飽きるでしょ」と、母は決して首をたてには振ってくれなかった。

 あるとき、「二階から犬の鳴き声がする」と母が言いだした。そして、妹が机の引き出しに隠していた白い仔犬を見つけると、無情にも「元いた場所に戻してきなさい」と言い放った。仔犬はしばらく田んぼの隅にかくまって、給食のパンの残りを与えたりしていたが、そのうちいなくなってしまった。

 犬だけでなく、猫が家の前にきて鳴くこともよくあった。こっそり食べ物をあげようとしているところを見つかると、こっぴどく叱られた。とにかく母は動物に対し、異常なくらいかたくなだった。

 なんてひどい母親なのだろう。動物が嫌いなんだ…当時はそう思っていた。だけど、ようやく今になってわかったことがある。母は決して動物が嫌いなわけではなかったのだ。現在、実家には家族とともに室内で暮らしている柴犬が一頭いる。毎日散歩に出かけ、母が蒸しタオルで身体を拭き、歯を磨く。病気でなくとも、爪切りや耳掃除で月に数回は獣医に行くという。

 子どもの頃のぼくは、今よりも随分と飽きっぽく、整理整頓もできなかった。集中力もまるでなし。犬を飼っても、そのうち他に夢中になるものができれば、ろくすっぽ散歩にも行かなくなっていたかもしれない。そう思うと当時の母親の選択は正しかったのだろう。自分ができないことは始めからやらない。手を出さない決断も大切なのだ。

ネイティブアメリカンの掟

 とはいえ、中学生になったところで、ぼくは主張したのだった。
「ぼくは中学生であり、子どもではない。犬を飼うことを認めよ」と。
 ぼくがそうとうの覚悟で言い出したことを、両親は無下にはしなかった。くすくす笑ってはいたけれど、それは認めるというサインだった。

 子どもが大人から学ぶことは大きい。ぼくは、動物と触れ合ってじかにかわいがるという精神を両親から直接学ぶことはなかった。けれども、犬を飼う覚悟と責任を母から学んだ。「元いた場所に戻してきなさい」ではなく「うちでは飼えないけど、ほかに飼ってくれる人を探そう」と言ってくれればもっとよかったのだけれど。それはまあむしろぼくら世代が言うべき言葉なのだろう。
 
 ネイティブアメリカンのある部族には「七世代の掟」と呼ばれる教えがある。今の自分たちの行いが七世代先の子どもたちにどんな結果をもたらすか、常に未来に思いを馳せながら決めごとをするという。

 この時代、未来に希望なんて持てないとか、周囲の人間のことまで考えてなんかいられない、という人もいるだろう。でも、愛護って動物だけに限ったことじゃない。犬をかわいがることは自分を大切にすることと同じだ。環境や社会、世界全体ともつながっている。

愛護や保護は「愛する」や「護る」ということ

 愛護運動とか保護活動って聞くとなんだか重いし、ちょっとね…という人も多いだろうし、実際ぼくだってそう。だけど、運動とか活動という文字を取ってみる。「愛する」や「護る」っていうシンプルな言葉についてだけ考える。うん、これならぼくにもできそうだ。いま現在ともに暮らしている犬を終生かわいがり護っていく。それだけでいい。自分の愛犬のことは自分がいちばんよく知っている。犬をいとおしく思い、たくさん話しかける。いっしょに散歩しながら季節の移り変わりを感じる。愛犬を通して世界を見る目はたぶん誰もが、きっとやさしい。

 だから、もっと人間の根本にあるやさしさを信じてもいいんじゃないかと最近は思う。人間こそが人間を救い、犬を救うのだ。そうしないと、世界はもっと殺伐としたものになってしまう。人も犬もそんな世界で生きていきたいわけじゃない。

 自分と違う価値観や意見を否定するのはたやすい。そしてそれらに対して共感するのは難しい。あなたがいくら想像のひだを張りめぐらせたところで、相手の本心にたどり着くのは至難のわざだろう。いくら考えても分からなかったり、答えが出せないことだってこの世界にはたくさんあるのだ。それでもあえて言いたい。どうか想像してみて欲しい。あなたとは違う誰かの気持ちを。
 
 30年前のことだ。夢のようにふわふわした仔犬を、ようやくこの手に抱いた時は叫びだしたいくらいうれしかった。犬と暮らす生活は人の心を豊かにするし、なにより楽しい。この幸福や喜びが、七世代先の子どもたちに受け継がれていくようにしないか。ぼくたちにはその責任がある。そしてこれが、ぼくのやりたいことだ。 

 犬はいい。うれしさをくれる。それは30年前の仔犬でも、いまそこでうずくまっている保護犬も同じだ。さらに30年後、犬をめぐる世界がすこしはよくなっていてくれるともっとうれしい。

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