前回は北イタリアの保養地ベルーノまでのローカル線の旅をレポートした。その帰りは、やってきたローカル線を戻るのではなく、別のルートでヴェネツィアに向かったので、その模様を書いてみよう。
日本では珍しい「プッシュプル・トレイン」に乗車
ベルーノはローカル線の終着駅ではない。線路はさらに山の中へ分け入っている。ただし、先で分岐して立ちはだかる山塊に恐れをなしたように東南に急旋回して南下するというUの字を逆さにしたような路線もある。今回は、そのルートを辿って南を目指した。
乗車したのは、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅行きの直通列車。途中の名も知らぬ駅で乗り換えなくてもいいので安心だ。ベルーノまで乗ったのは3両編成のディーゼルカーだったが、今回は客車列車である。といっても、武骨な運転台付きの客車をディーゼル機関車が押していくというプッシュプル・トレインで、日本では速度の遅いトロッコ列車でしかお目にかかることはない。普通の速度で走る列車でのプッシュプルトレインは日本では例がないが、ヨーロッパではあちこちでお目にかかるスタイルである。
車両の正面や側面は、凄まじいばかりの落書きで覆われていてちょっと惨めだが、車内では落書きは見当たらず小ぎれいな状態で安心した。空いているせいかもしれないが、ベルーノまで乗ったディーゼルカーよりもゆったりとした感じだった。
山岳地帯なので、トンネルをいくつもくぐる。ポンテ・ネレ・アルピを発車すると山奥に進む線路と分れ、大きく右に旋回して進路を南へと変える。ペル・ラルパゴを過ぎると視界が開け、気が付くとサンタ・クローチェ湖畔を快走していた。元々は小さな湖だったが、ダム建設で広がったとのこと。セーリングなどの水上レジャーが盛んな場所である。彼方には雄大な山並みが広がる。
サンタ・クローチェ湖の名を冠した駅を過ぎると、列車は湖と分れ、いつしか山の中腹を走っている。車窓からは谷間の小さな村を見下ろすように進む。どんな小さな村にも教会があるのはヨーロッパでは普通のこと。イタリアも同様だ。
ベルーノまで乗った区間よりも、変化があって退屈しない。ベルーノでの音楽セミナーが終わって同乗した妻は、日頃、列車内では居眠りばかりしているが、さすがに起きて車窓を楽しんでいる。
ベルーノを出ておよそ50分。いつしか列車は平地に降り、畑の中を進む。コネリアーノで複線電化の幹線と合流する。隣国オーストリアの首都ウィーン方面とヴェネツィアとを結ぶ国際列車が走る重要ルートだ。ここでローカル線の旅は終了、列車はそのまま幹線を走る快速列車に変身した。
結構幅の広いピアーヴェ川を渡る。少し離れたところを並行して架かっている優美な石橋が目に留まる。人工物ではあるものの風景に溶け込んでいて好ましい。
クリーム色の小さいけれど瀟洒な駅舎が印象的なスプレシアーノに続いて、トレヴィーゾに停車する。2階建ての近郊列車が別のホームに停まっていることからわかるように、このあたりはヴェネツィア都市圏なのだ。ここは、カラフルな衣料で有名なベネトンの本拠地があることでも知られる。街中に運河があるので、「陸のヴェネツィア」とも呼ばれる。時間があれば途中下車したいものだが、先を急ぐ。
都市近郊といっても緑豊かな林が続くところもあり車窓を楽しめる。20分ほど走ってヴェネツィア・メストレ駅に到着。西のミラノ、ヴェローナ方面からの線路、東のトリエステ方面からの線路と合流する鉄道の要衝だ。もっとも、世界的な観光地ヴェネツィアの最寄り駅ではないので、ヴェネツィアという駅名にごまかされてはならない。乗っているのはローカル列車なので、観光客の姿はほとんどなく、降りるかどうかとまどっているような人はいなかった。
しばらく停車した後、発車。道路と並走するリベルタ橋を渡り始める。過去には特急列車で通過したことが何度かあったが、こうしたローカル列車で海を渡るのは初めてだ。身を乗り出して写真を撮りまくるような乗客は皆無で静かなものである。とくに車内放送もなく、海を渡り終わるとホームが現れ、行き止まりのターミナルであるヴェネツィア・サンタ・ルチア駅にゆっくりと滑り込んでいく。
大きな荷物を持った乗客は私たちくらいで、特急列車や国際列車のような華やいだ雰囲気はなく、列車旅は静かに終わった。