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■時代劇、大河ドラマでおなじみ
俳優、高橋英樹が関ケ原古戦場を歩く。

「陣形有利の三成が敗戦したその理由が家康の強さなんだ」決戦地に立つ高橋英樹さん

関ケ原に立つことでしか
分からない戦いの真実

「東西約4㎞、南北約2㎞の関ケ原がよく見渡せる。ここに約15万の兵が集結したとすれば、想像を絶するね」

 歴史通として知られる俳優、高橋英樹さんは、徳川家康最後陣地福島正則陣跡などを歩くなか、関ケ原古戦場の石田三成陣跡がある標高198mの笹尾山(ささおやま)に立ち、睥睨(へいげい)するや、こう感嘆した。

 「三成の陣から眼下に島津義弘と小西行長、南に宇喜多秀家と大谷吉継ら西軍の諸将を配していたんだな。この陣形を見る限り、三成が有利だったはずだよ。実際に現場に来ないと分からないことだな」

 さらに高橋さんは、東にある標高164 mの岡山(丸山)を指差す。

「あれが東軍の烽火場、黒田長政の陣だ」

 長政の鉄砲隊は密かに笹尾山に接近すると「三成の懐刀」島左近(しま・さこん)隊を銃撃した。笹尾山頂上から下りると、その島左近陣跡の旗が立つ。感慨深げに見つめる高橋さん。かつてドラマで演じた人物だ。

 「『三成に過ぎたるものが二つあり。島の左近と佐和山の城』と詠(うた)われた武将だ。山頂の三成を、決死の覚悟で守ったんだろう。決戦地もこんなに近いんだな。家康が桃配山(ももくばりやま:家康最初陣跡)から勝利を確信して進軍してきたこともわかる。関ケ原に立つだけで420年前のドラマがよみがえってくるね」

 これが名優の心を動かす関ケ原の真実。


関ケ原古戦場の史跡を歩く。

関ケ原古戦場史跡:本記事で扱う史跡

岡山烽火(のろし)場/黒田長政・ 竹中重門陣跡

黒田長政により合戦の烽火があげられた地。164mの山頂からは古戦場の戦局が一望できる。

福島正則陣跡

秀吉子飼いが三成憎しで東軍の一番槍を目指した。樹齢800年の杉の木が歴史の証人。

小早川秀秋陣跡

1万5,000の兵が布陣した標高293mの松尾山。家康による威嚇射撃により東軍についたとも言われている。

徳川家康最後陣地

陣場野公園内にある家康最後 陣地。東軍が討ち取った敵将の首実検が行われたと伝わる。

決戦地

関ケ原の戦い最大級の激戦地。三成陣の 笹尾山を背景に広がるのどかな田園。

石田三成陣跡

決戦地北西に位置する小さな山が笹尾山。合戦時、敵の攻撃からの防御として使われた馬防柵(ばぼうさく)が復元されている。島左近とともに布陣した笹尾山頂上から古戦場全域を見渡せば、合戦当時の「幻」を見るはずである。

大谷吉継墓

三成の大義に殉じた盟友が、湯浅五助とともに眠る。小早川隊からの攻撃を受けて壊滅。

島津義弘陣跡

三成陣の笹尾山から南下800m。西軍陣の 中心部。わずか800名の少数部隊で応戦し、 最後は東軍の正面を敵中突破したと伝わる。

岐阜関ケ原古戦場記念館

関ケ原の戦いのすべてがわかる最新技術を結集した体験型 の施設。合戦を俯瞰するグラウンド・ビジョン、大迫力の シアター映像、古戦場ならではの貴重な収蔵品がたくさん。

【岐阜関ケ原古戦場記念館】岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
☎0584-47-6070 JR東海道本線関ケ原駅から徒歩10分
営 9:30~17:00 毎週月曜日定休(祝日の場合は翌平日)12/29~1/3

https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/

【大関ケ原祭2022】

岐阜県と関ケ原町は3年ぶりに恒例の大規模イベントを開催 (10月8日〜10日)。写真左は、石田三成が陣を構えた笹尾山麓の特設ステージで上演された野外朗読音楽劇「関ケ原夜想語」。写真右は、徳川家康最後陣地でプロ棋士が東軍・西軍の大将となって対決した。

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