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<理系の旅> 牧野富太郎がいた小石川植物園の魅力

小石川植物園は、昭和の面影が残る文京区の住宅街にある。東京大学大学院理学系研究科附属植物園が正式名称だ。日本で一番古く、世界的にも歴史のある植物園である。NHK連続テレビ小説『らんまん』の主人公のモデルとなった植物学者の牧野富太郎は、晩年まで小石川植物園で研究を続けた。

小石川植物園 正門

小石川植物園は植物学の歴史の宝庫

小石川植物園は植物学の歴史を感じられる空間だ。園内には、公園ではなく研究施設であると断り書きの看板がある。正門から入ってすぐの左手にあるソテツは、明治29年(1896)に農科大学助教授だった池野成一郎が精子を発見したソテツの分株だ。同年、東京帝国大学植物学教室助手だった平瀬作五郎が精子を発見したイチョウの木も園内にある。裸子植物の精子の発見は当時、日本の植物学が世界のレベルに到達したことを示す快挙だった。イチョウの精子発見によって、精子をもつ裸子植物があると世界で初めて明らかになった。裸子植物のイチョウやソテツが、雌の生殖器官として胚珠(種子)を進化させる一方、雄の生殖細胞として原始的な精子を持つという植物生殖上の発見は、日本人によって報告されたのである。 

精子発見のソテツ 
精子発見のイチョウ

牧野富太郎がいた小石川植物園

牧野富太郎(1862-1957)が研究を始めたのは、日本の植物学者が西洋に追いつく努力を重ねた時代だった。開国以降、欧米の園芸家や植物学者が、日本の植物を持ち帰って園芸や研究に利用するため、あいついで来日していた。明治10年(1877)に小石川植物園が東京帝国大学の附属施設となると、理学部教授の矢田部良吉は植物標本を集め、欧米人の手を借りずに日本人が学名を発表する方針を打ち出した。牧野は矢田部の教室で植物学の研究をスタートしている。その後、彼は矢田部に出入りを禁止されたが、東京大学植物標本室の建設に貢献した次の教授、松村任三によって東京帝国大学理科大学助手として採用された。牧野は学歴的には小学校中退でありながら理学博士号を取得、東京帝国大学理科大学講師として昭和14年(1939)まで勤めた。牧野がいた研究室は小石川植物園内、現在の柴田記念館の近くにあったが、現在は失われている。

牧野の植物学での貢献は多岐にわたる。約40万点の植物標本を収集し、変種を含む約1500分類群の植物を命名した。ヤマトグサやムジナモ、サクライソウなどを発見し、日本の植物相の解明に役立っている。また、学術誌や図鑑から一般向けの本まで多くの書物を著した。牧野が描いた植物画は特徴を正確にとらえ、分かりやすく緻密だった。彼が創刊した『大日本植物志』のために、野生植物の部位や成長段階を自分で描いた植物画は、資料としての価値が認められている。特に評価が高いのはアマチュアへの教育である。全国で植物採集会や講演会を行い、一般の植物愛好家を育てた。全国の愛好家が採集した植物は東京大学の植物標本室に多数、収蔵されている。アマチュアによる新植物の発見は研究者より多く、愛好家の活躍は全国の希少種の分布を知る上でも有益だった。

大日本植物志 
大日本植物志に牧野が描いたヤマザクラ
日本植物志図篇

小石川植物園の始まり

小石川植物園は江戸時代に薬草園として始まった。寛永15年(1638)に幕府は江戸の南北に薬草園を開設した。北薬園の場所に護国寺が建造されることになり、天和元年(1681)に薬草の一部が白山御殿に移植され、小石川御薬園となった。『赤ひげ診療譚』(山本周五郎)で有名な、日本で最初の一般庶民のための病院である小石川養生所は享保7年(1722)、現在の園内に設けられた。小石川植物園内にある古井戸は当時、養生所で使われていたものである。幕末の混乱期にも薬園は存続し、明治元年(1868)に東京府が管轄する大病院附属御薬園になった。その後、医学校薬園、大学東校薬園と変遷し、文部省博物局や太政官博覧会事務局への併合を経て、明治8年(1875)にはじめて「小石川植物園」と呼ばれている。明治10年に東京帝国大学附属の施設になった。

薬草保存園
強心作用をもつジギタリス

科学の歴史を示す植物

小石川植物園では、科学の歴史を物語る植物が見られる。ニュートンが万有引力を発見するきっかけとなった逸話のある、生家のリンゴを接木で増やした木が温室の前に植えられている。その隣には、遺伝学の父メンデルが修道院で研究に使ったブドウの分株の棚がある。大正2年(1913)に分譲された後、元となったチェコの旧実験園のブドウが失われ、小石川植物園の株を里帰りさせて復活させた。

ニュートンのリンゴ
メンデルのブドウ

薬草保存園には、江戸時代に栽培されていたオウレンやマオウなど代表的な薬用植物が約100種、植えられている。牧野富太郎と縁のある植物も園内に多く栽培されている。学名の末尾にMakinoと記されている植物は、牧野が命名に関係した。たとえば、ヒメハッカの学名はMentha japonica (Miq.) Makinoだ。取材したときは牧野の展示をしていて「牧野富太郎ゆかりの植物マップ」が配布されていた(現在、展示と配布は終了)。彼が研究した植物を調べて観察するのをおすすめしたい。

ヒメハッカ
キンモクセイ
キンモクセイ

日本庭園、東京医学校本館

正門から左に曲がり小石川植物園の南側を進むと、野鳥の声で都会の喧騒を忘れる散歩道がある。池の周りや木漏れ日の射す土の道を歩くには、スニーカーや泥がついてもかまわない靴がいいだろう。林道を過ぎると現れる日本庭園は、徳川綱吉が幼い頃に住んでいた白山御殿の庭園に由来し、秋には紅葉が美しい。その奥にある洋館は、東京大学総合研究博物館小石川分館、旧東京医学校である。明治9年(1876)に建築され、現存する東京大学の建築物で最古だ。晴れた日は、日本庭園の池の眺めを楽しみながらお弁当を広げる人がいる。

小石川植物園南側
旧東京医学校

素朴であたたかい売

園内の売店は薬草保存園の隣、藤棚の下にある。手書きの看板には「カルビー丼、カレーライス、ちまき、おはぎ、うな丼(おいしい)」とあった。ソフトクリームを宣伝するのぼりがあるというと、ピンとくる方がいるかもしれない。日銀総裁だった白川方明氏の著書『中央銀行』の冒頭に退任の翌日、小石川植物園を訪れた白川氏に、同年代の売店の女性が「おつかれさまでした」とソフトクリームとコーヒーをご馳走するエピソードがある。

ソフトクリームを宣伝するのぼり
手書きの看板

売店に置かれている「東京大学植物園のど飴」は園内で実った果実を原料とし、添加物を使用していない素朴な味わいだ。以前は東大でも扱っていたが、今は在庫があるときだけ園内の売店で売っていると、この売店で25年働いている小穴洋子さんは語った。食事ができるテーブルに生花がいけてあり、のどかな雰囲気だ。

のど飴(黄箱)の味は山桃、柚子、梅干しの三種類
テーブルを彩る生花

草木を友にすれば

昭和14年、牧野は東京帝国大学理学部植物学教室講師を78歳で辞任した。その心境を著書『牧野富太郎自叙伝』に「朝な夕なに草木を友にすれば淋しいひまもない」と記し、「研究はマダ終わっていない。闊(ひろ)い天然の研究場で馳駆(ちく)し、出来るだけ学問へ貢献するのダ」と述べた。翌年、研究の集大成である『牧野日本植物図鑑』を刊行した。この本は現在まで改訂を重ねている。94歳で亡くなるまで植物一筋の人生だった。

現在の小石川植物園では、国内外のフィールドワークやDNAレベルでの解析、園内の施設を利用した栽培実験などにより、植物の多様性を研究している。小笠原諸島で絶滅が危惧されている植物の保護事業もその一環だ。東京大学植物標本室は190万点以上の標本を所蔵する国内で最大の施設であり、小石川植物園ではそのうちのシダ類、裸子植物、合弁花類の約80万点の標本を管理し、国内外の研究活動に活用している。

牧野72歳
牧野38-39歳頃
牧野日本植物図鑑

取材・執筆◉賀茂 恵

小石川植物園 
〒112-0001 東京都文京区白山3丁目7番1号
閉園日:月曜(月曜が祝日の場合はその翌日、月曜から連休の場合は最後の祝日の翌日が休園日)開園時間:午前9時~午後4時30分(但し入園は午後4時まで)

参考文献

1) 大場秀章 編 (1996) 東京大学コレクションⅣ 日本植物研究の歴史 —小石川植物園300年の歴史 東京大学総合研究博物館
2) 川上幸男 (1981) 小石川植物園 郷学舎
3) 牧野富太郎 (2023) 牧野富太郎自叙伝 千倉出版
4) 白川方明 (2018) 中央銀行:セントラルバンカーの経験した39年 東洋経済新報社
5) 東京大学大学院理学系研究科附属植物園 「国指定名勝及び史跡 小石川植物園」 東京大学
https://koishikawa-bg.jp/ (参照2024-2-14)
6) 牧野富太郎 (2023) 牧野富太郎選集5 植物一日一題 東京美術

注)「大日本植物志」は「志」で表記が正しい。

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賀茂 恵

かも・めぐみ:理系/医療ライター。理系の専門的な知識と文系の心を融合させて取材のほか、日本語・英語の論文や公的資料など確かな資料をもとに記事を執筆している。医療、ヘルスケア、サイエンス、人文系、美術、翻訳を専門とする。一般の方向けの読みやすい記事から専門家対象の記事、企業案件、アドバイザリーまで幅広く扱う。いわゆる理系と文系の垣根をなくし、わかりやすく伝えることを心がけている。歯科医師、医学博士。好きな食べ物はフィッシュ&チップス。

  1. <理系の旅> 牧野富太郎がいた小石川植物園の魅力

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