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高知東生『ありのまま生きる』WEB版【第5回】あっという間に逮捕されてしまい、治療に繋がるチャンスがないままに『罰』だけが与えられてしまいます。

著:高知東生 撮影:増本雅人

講演、出版、SNSで依存症への理解を広める発信が話題を呼び、今や俳優業に留まらず、作詞に小説執筆とマルチに活躍する高知東生さん。芸能界の第一線から一度は地の底に落ちた男がいま、ありのままの自分を語る。雑誌『一個人』の大好評連載のWEB増量版第5回!


薬物で逮捕された者に待つ日本社会の強烈なスティグマ

 今日は少し、社会的な話をさせて下さい。
 僕は2016年に逮捕されてから7年になりますが、いまだに保証会社が入る場合は、駐車場すら契約できません。おそらく逮捕歴でひっかかっているのだと思います。仲間の中には、月々数千円の会費で加入できるシェアオフィスの会員すらはじかれた人もいます。
 2023年6月23日国連人権高等弁務官事務所が、国際社会に対し「個人の薬物使用と所持は緊急に非犯罪化されるべきである」として、違法薬物犯罪の扱いについて「処罰」を「支援」に置き換え、人権を尊重・保護する政策を推進することを求めました。
 誤解されがちですが、この非犯罪化というのは、合法化とは違います。確かに大麻を解禁し始めた国もありますが、非犯罪化というのは、薬物は禁止されているけれども、違反者に対しては刑事罰を与えないというものです。非犯罪化とは聞きなれない言葉ですが、実は僕たちは当たり前のようにそれを受け入れています。例えば、タバコ、アルコール、ギャンブルなどは、20歳以下で手を出すことは法律で禁止されています。しかし、だからといって違反した青少年をいちいち逮捕したりしていないのは、そのような微罪で逮捕という烙印を押されれば青少年の未来が奪われてしまうからです。それよりも家庭や学校、地域社会といった環境による何らかの問題を抱えていた場合には、そこに介入して根本的な問題解決に臨むことが大人の役割と認識されています。
 また、子供たちに限らず、アルコールやギャンブルの問題は、かなり大目に見られています。周囲の人々もまず健康問題や、うつ病などの精神疾患の併発を心配し、治療に繋げようとすることが殆どでしょう。なぜならアルコールやギャンブルは合法だからです。
 ところが薬物の場合はこうはいきません。あっという間に逮捕されてしまい、治療に繋がるチャンスがないままに「罰」だけが与えられてしまいます。実際に僕自身も「治療が必要な病気」などと思ってみたこともありませんし、聞いたこともありませんでした。
 この薬物のトリートメントギャップ(本来治療が必要であるにもかかわらず、治療にかかっていない人の差)を埋めようというのが、現在の世界の潮流となっています。S D Gsの目標3-5にも「麻薬を含む薬物やアルコールなどの乱用を防ぎ、治療をすすめる」と盛り込まれ、続いて2023年には冒頭の国連声明となりました。つまり先進国では、薬物乱用者は犯罪者ではなく、治療が必要な病気の人として扱おうと動き出したのです。
 ところが、日本ではこの潮流に逆らうように「大麻使用罪」を創設しようなどの動きがあり(現在大麻は、所持への罰則はありますが、使用への罰則はありません)、違法薬物の使用者には、すでに強いスティグマがあるにも関わらず、さらなる強いスティグマを植え付けようとしています。官僚の思惑など様々な理由があるのですが、そこは今回の主旨ではないので割愛します。僕がここで述べたいのは「正しいと信じてきたことは、本当に正しいのか」ということです。
 もちろん、僕も逮捕された時には、自業自得であり、バッシングも致し方ないと受け入れ、小さくなっていました。ところがそれに対して、猛反撃をしてくれていたのが、依存症問題に関わる医療者、弁護士、学者、そして当事者や家族の人たちでした。その声は、連日TV局を始めとした大手メディアの大音量にかき消され、ネットコンテンツの記事などでしか見かけることができない小さな叫びでしたが、人が去り、誰にも相手にされない状態で孤独に沈んでいた僕にとっては、希望の光でした。そして事件から2年後に今の仲間たちに出会い、薬物問題について僕も学ぶようになったのです。
 最初は自分の恥である薬物依存症について学ぶことを避けていました。「もうそこには触れたくない」という気持ちです。けれども、仲間から個人的にレクチャーを受けていくうちに、これは自分が取り組まなくてはならない問題だと気付き始めました。心を動かされたのは「薬物を止めることがゴールではありません。それは生き方を変えるスタートです。薬物を使わなくちゃ、生きてこられなかったほどの、生きづらさはなんだったのか。しっかりと心を掘り下げていきましょう」と言われたことです。
 こうして自分の心に向き合ううちに「薬物依存症になる人にはそれぞれの背景がある。生い立ち、薬物が蔓延していた環境、逃げられない人間関係。薬物問題を断ち切るには、実はその背景に向き合っていくことが重要だけれど、そういった要因を変えていくことは一人ではできない」と気づきました。
 だとしたら、薬物問題を抱えている人に「逮捕」という脅しをかけること、「罰」を与え社会から疎外することは果たして意味があるのか疑問に思うようになりました。それは、ますます薬物に依存しなければならないような環境から逃げられなくなるようにしてしまうだけではないでしょうか。少なくとも、僕があのまま仲間たちと繋がることなく、孤独のままどんどん悪環境に追いつめられてしまっていたとしたら、きっと再発していたでしょう。事件から7年経っても、駐車場すら借りられない状況を一人で戦っていたなら、もしかしたら死を選んでいたかもしれません。
 けれども、日本では大多数の人が薬物事犯に対しこう考えます。「懲らしめ、さらし者にして、仲間外れにすれば、もう2度と薬物はやらないだろう」と。それが正義だと信じられています。

薬物問題に私達はどう向き合うべきなのか

 僕は、「お前が言うな」と言われるでしょうが、覚悟を持って、あえて言います。
 日本の薬物政策と薬物報道は間違っている、と。この問題について、ぜひ多くの人に「自分がセイギ(正義)だと思っている行動で、実はギセイ(犠牲)者を出しているかもしれない」と、ちょっとだけでもいいので、物事の裏表両面を見て欲しいと願っています。
 僕はもう執行猶予も明け、刑事罰的なものはすべて終わっています。それでも、相変わらず批判も多いし「ヤクチューが何言っているんだ」「もう出てくるな」と言われることも多々あります。なんせ駐車場も借りられない身です。
 けれども、この7年間の間に応援してくださる方も増えました。お陰様でありのままの自分で生きていける居場所もあります。
 あのどん底の真っ暗闇の中で、僕に一筋の灯りを示してくれたのは、名もなき市井の人々でした。僕ら芸能人のような発信力もなく、そして僕ら芸能人が薬物問題で逮捕されるたびに、スティグマが強まり、社会から批判され、肩身の狭い思いをさせてしまった当事者や家族の方々が、巨大な世論やマスメディアの力に対しめげずに戦い続けてくれました。
 だから、今回僕も自分の考えをこうして表に出すことにしました。少量の薬物の使用、そして所持の場合は非犯罪化し、当事者が治療を望む場合は逮捕ではなく、病院や回復施設につなげて欲しい。そして芸能人に限らず、日大の時もそうでしたが、薬物問題をメディアはセンセーショナルに扱うのではなく、治療に向き合う姿勢を取り上げて欲しい。心から、そう願っています。

 

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