特別列車は廃線を辿る
北ドイツにある湖畔のリゾート地プレーンで数時間を過ごした後、V200形ディーゼル機関車牽引の特別列車は帰路についた。ただし、折り返してリューベック経由で戻るのではない。往路とはコースを変えて、どこを通るかはお楽しみとのことである。
列車は、リューベックとは反対方向の西へ向かって走り出した。そのまままっすぐに進むとキールに出て、そこで折り返して南下するとハンブルクに到達できるのだが、そんなありふれたルートではないという。途中から、もう何年も列車が走ったことのない廃線を辿るそうだ。
「安全上、問題はないのかなあ?」と往路で知り合ったドイツ人の鉄道ファングループに訊いてみた。「走ってみなけりゃわからないさ」
何とも適当である。何事もきちんと計画を立てて物事を実行するというドイツ人気質とは違った一面が見え隠れしている。遊びなのだから多少の冒険はいいのだよ、とでも言いたげだった。
廃線といっても線路は残っている。でなければ、列車は走れない。ともかく草ぼうぼうの朽ち果てる寸前のような線路を列車は最徐行で進んでいく。踏切では、列車は一旦停止し、機関助士が機関車から降り、安全を確認してから、ゆっくりと通過していく。これを何度も繰り返していた。
広々とした廃駅に到着。どこで知ったのか、大勢の鉄道ファンが待ち構えていた。線路際にクルマが何台も停まっていたから、クルマで追いかけての撮り鉄のようだ。当初の予定では、ここで撮影会を行うはずだったが、蒸気機関車が故障してV200形に変更となったので、中止になるという。とくにガッカリした声もなく、2~3分の停車後、列車は南に向かって動き出した。
夕日を浴びながら、列車は淡々と進む。どうやら廃線区間が終わったようで、心なしかスピードをあげて走っている。バート・オルデスローに到着。ここで、リューベック方面からハンブルクに向かう本線に合流。この駅からは朝通ってきた路線を走る。東ドイツから急遽借りてきた蒸気機関車が待機しているとの話があったが、駅は静まり返っていた。鉄道ファングループの一人、小さなカメラを首からぶらさげた大柄な若者がホームに降りてきょろきょろ見回した後、がっかりした表情で車内に戻ってきた。
結局、最後まで蒸気機関車は現れることなくハンブルク中央駅に戻ってきた。ホームに降り立つと車掌が声をかけてきた。旅はどうだったか、と訊いてきた。
「楽しかったけれど、蒸気機関車ではなかったのが残念でした」と応えた。
すると、明朝時間があるなら、ハンブルク・アルトナ駅に来ないかという。今日は間に合わなかったけれど、明日は大丈夫さと自信ありげだ。
翌朝、教えてもらった時間より少し前にハンブルク・アルトナ駅に向かった。隣接して大きな車両基地がある駅で、中央駅が東京駅ならアルトナ駅は品川駅という感じである。行き止まりのターミナル駅で、ずらりと並んだホームを見渡すと、一番左のホームには前日乗ったばかりで見覚えのある旧型客車が横付けになっていた。何と103形電気機関車が、ホームまで牽引してきたようだ。さっそく、10両編成ぐらいの長さを足早に先頭に向かって歩いていく。しかし、先頭には機関車は連結されていなかった。
そのあたりにはカメラ片手のファンが数人たむろしている。昨日、バード・オルデスロー駅のホームでウロウロしていた大きな若者もいる。私に気づくと、車両基地の方を指さす。見ると煙が上がっているではないか。彼はガッツポーズで得意満面の笑みを浮かべている。
ところが、しばらくすると昨日のV200形ディーゼル機関車がやってきた。全員一斉にブーイング。すかさず、場内放送が入る。「次は蒸気機関車の登場です!」
今度は一斉に拍手が起こる。すると、甲高い女性的な汽笛が鳴って、黒光りした蒸気機関車が後ろ向きにゆっくりと入ってきた。目を凝らしてナンバープレートを見つめると50形と書いてある。急行列車用の01(ゼロイチ)形ではなく、動輪が5つある貨物列車牽引用の蒸気機関車だ。
先に客車に連結されたV200形の前にしっかりと連結される。万一に備えてなのだろう。蒸気機関車とV200形ディーゼル機関車との重連で列車を牽引するようだ。
旧東ドイツ地区から取り寄せたらしくDB(ドイツ連邦鉄道=当時は西ドイツ国鉄)ではなく、Deutsche Reichsbahn (東ドイツ国鉄)の標示板が付いていた。機関車のまわりに人だかりができ、お祭り騒ぎのようになってきたのは日本と同じだ。しかし、ハンブルクのような大都会のターミナル駅でも大混乱するような人出ではない。押し合いへし合いしなくても、ゆったりと写真が撮れるのだ。
発車時間が迫ると、大勢いたファンの7割がたは列車に乗り込んでしまった。このあたりが日本のファンとは楽しみ方が異なる。私は、前日の夕方に突然車掌から誘われたので指定券の持ち合わせはないし、この日のお昼過ぎにはハンブルクを出てベルリンに行く予定だったので、ホームから見送る仲間の一人だった。
朝靄が霧雨に代わり、8月とは思えないくらい気温が下がってきた。汽車の煙が盛大にあがって発車を待っている。蒸気機関車は寒いほうが見ごたえがあるのは言うまでもない。
汽笛一声。蒸気が乱舞し、列車はゆっくりと動き出した。客車の窓から顔をだしている乗客は誰もが嬉しさを隠そうとはしない。例の大柄な若者が手を振っている。昨日の車掌もいる。目が合うと、手を振りながら、「どうだ、言ったとおりだろ」といわんばかりの表情である。
列車はぐんぐんとスピードを上げていく。主役が戻ってきて元気いっぱいだ。目指すは北の果てのリゾート地ヴェスターラント。あっという間に朝靄の中に消えていった。あとに煙と満足感をたっぷり残して。