美麗な2つの墓室を有する他に類例のない八角墳
近鉄飛鳥駅(奈良県)からゆるやかな坂を登っていくと、真白き八角形の墳丘が際立って見えてくる。と、同時に坂道の勾配が急になってくる。「この坂にも意味があるんですよ」。息も切らさず案内してくれる明日香村教育委員会文化財課の辰巳俊輔さんは笑う。
『牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)』。このうるわしき八角墳は長年の整備工事の末に、2022年、当時の姿のままに蘇った。
「7~8世紀の飛鳥(現在の奈良県高市郡明日香村あたり)では、天皇の陵(みささぎ)は必ず、高い丘陵上に築造されました。当時、古墳は社会の階層や権力を映す政治的モニュメントとしての意味を持ち、被葬者の権威の象徴であり、さらにはその権力者の後継者のために立派な古墳を築造するという意味もあったはずです」
見上げるような丘の上に、さらに見上げるような真っ白な八角墳を築造するとは、当時、かなりセンセーショナルだったはずだ。
牽牛子塚古墳は他に例を見ない非常に珍しい内部構造を持っている。なんと中は棺を2基、並べることができるツインルームではないか!天井は丸みを帯びたアールで、棺を置くための棺台(かんだい)や壁、天井は、つるりとした真っ平な仕上げ。まるで美麗な現代建築を見てるような錯覚に陥る。しかも巨大な一つの岩をくり抜いて造った、刳り抜き式横口式石槨(くりぬきしきよこぐちしきせっかく)である。一体、どれだけの気の遠くなるような作業を続けて、人の手で岩を刳り抜いてこんな素晴らしい墓室を造ったのだろうか。
石槨の中からは当時の棺としては最高峰といわれる、麻布を重ね、漆で固めた夾紵棺(きょうちょかん)の破片や、棺の金具と見られる、美しすぎる七宝製亀甲形飾金具(しっぽうせいきっこうがたかざりかなぐ)が見つかっている。加工石をこれほど贅沢に用いた古墳は他に類例がないそうで、相当な地位の人物が埋葬されたと考えられる。
では一体、被葬者は誰なのか?発掘調査によって、牽牛子塚古墳が古代のこの地域を指す「越智岡(おちのおか)」にあること、大王の墓のみに採用される八角墳であることから、『日本書紀』にある〝斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)が合葬された越智崗上陵(おちのおかのうえのみささぎ)〟である可能性が高まってきたのだ。
牽牛子塚古墳に寄り添うもう1基の古墳の存在
さらに発掘調査中に驚くべきことがわかった。牽牛子塚古墳の南東の斜面にもう1基、古墳が発見されたのだ。一辺約10mの方墳で、埋葬施設は飛鳥石(石英閃緑岩/せきえいせんりょくがん)の巨石から造った刳り抜き式横口式石槨ということがわかった。棺台も壁面もきれいに加工され、牽牛子塚古墳同様、非常に洗練された埋葬施設を持つ。
この古墳は字名などから越塚御門古墳(こしづかごもんこふん)と命名された。牽牛子塚古墳を斉明天皇の陵とするならば、越塚御門古墳は、〝斉明陵の前に孫の大田皇女(おおたのひめみこ)を葬った〟とい
う『日本書紀』の記載から、大田皇女の墓ではないか?と考えられている。
寄り添うような2基の古墳は一体、誰が築造したのか?辰巳さんは、斉明天皇の子である中大兄皇子(のちの天智天皇)ではないかと考えている。この古墳を築造した20日後に、中大兄皇子は近江大津宮において即位し、律令国家の基盤づくりに明け暮れる。
以前から、日本を一つの国にまとめるために奔走していた皇子は、時に、母だけでなく、妹である間人皇女、娘の大田皇女を政治に巻き込まざるを得ず、3人の女性もまた自分の役割をよく理解していた。
「政略渦巻く中で、不幸にも亡くなった母と妹と娘を、中大兄皇子は、近江に行くまでに、懐かしい飛鳥の地の美しい墓に埋葬したかったのではないでしょうか。3人を弔う気持ちと、日本という国づくりへの覚悟の証を、ここで立てたのかもしれません」
このうるわしい八角墳には、そんな壮絶な覚悟と思いが込められているのか。そう思ってみると、美しさが凄みを増す。
当時は、朝鮮半島の不安定な政治情勢も絡んで、後に起こる壬申の乱の予感をはらんだ不穏な時代だった。ここに八角墳の意味があると辰巳さんはいう。
「八角形の『八』は〝天皇を中心に八方あまねく国士を統治する〟という当時の中国の思想に則った世界観を現わしたものです。八角墳によって天皇が亡くなった後も国の中心であることを示したかったのでしょう。約500年近く続いた古墳文化の最終末期に築造されたこれらの八角墳は天皇を中心とした国づくりのプロセスを示す、重要な存在だったと思います」
辰巳さんによると、畿内には5基の八角墳が確認されている。牽牛子塚古墳のほか、舒明天皇陵(段ノ塚古墳/だんのづかこふん)、天智天皇陵(御廟野古墳/ごびょうのこふん)、天武・持統天皇陵(野口王墓古墳/のぐちおおのはかこふん)、そして最近の調査で文武天皇の陵と考えられている中尾山古墳が、いずれも八角墳だ。そのうち、飛鳥に築造された3基の八角墳、牽牛子塚古墳、天武・持統天皇陵古墳、中尾山古墳は、それぞれ見晴らしの良い丘の上から、互いの墳墓がよく見えるように築造されている。
斉明天皇は天武天皇の母であり、文武天皇は斉明天皇からみれば曾孫にあたる。死してなお、天皇の権威を示すと同時に、ロイヤルファミリーの絆を守ろうとしたのかもしれない。王家の丘の連なりから、強い絆を実感することができる。
牽牛子塚古墳・越塚御門古墳の石室見学について
通常は柵・扉の外からのみの見学。夏季を除く土・日曜のみ有料で石室見学ができる(見学料500円・越塚御門古墳の約10分間の映像付き)。問い合わせ・申し込みは一般社団法人飛鳥観光協会まで。
☎0774-54-3240 HPはこちらをクリック
末広がりの「八」でつながる!8つの御朱印「飛鳥乃余韻」を集めよう!
飛鳥では、スイーツや文具、エコバッグ、Tシャツなど古墳関連グッズが充実している。また、御朱印「飛鳥乃余韻」が2022年からスタート。8種の御朱印のうち、古墳御朱印は、石舞台古墳、高松塚古墳、キトラ古墳、牽牛子塚墳、中尾山古墳の5つで、それぞれの古墳近くの施設で購入できる。新たな年に、飛鳥の古墳や遺跡を巡りながら、おめでたい末広がりの8つの御朱印を集めてみてはいかが?
問い合わせ:明日香村観光農林推進課 ☎0744-54-9020
\今月のナビゲーター/
明日香村教育委員会文化財課 主査
辰巳俊輔さん
1989年、奈良県明日香村生まれ。関西大学大
学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。主
な発掘調査の担当に中尾山古墳などがある。
主な論文に「八角墳造営年代論」『日本考古
学』第49号、「幕末・維新期における檜隈安
古岡上陵の実像」『明日香村文化財調査研究
紀要』第20号などがある。
写真提供:明日香村教育委員会(七宝製亀甲形飾金具以外)