■菊地の「地」には武士の誇りが込められていた
11月は、全国各地で菊まつりが行われている。菊は、天皇家の紋章にも使用されているなど、日本人にとても馴染みのある花である。日本にも野生の野菊が自生していたが、今日のような菊は中国が原産で、平安時代に日本に伝わったとされている。
天皇家の紋章に菊が使われるようになったのもこの頃からで、当時、後鳥羽上皇が大の菊好きであったからとも言われている。
名字の中でも、菊のついたものは菊池・菊地(きくち)や、菊一(きくいち)・菊入(きくいり)・菊子(きくこ)・菊崎(きくざき)・菊水(きくすい)・菊次(きくじ・きくつぎ)・菊妻(きくづま)・菊名(きくな)・菊盛(きくもり)・菊地原(きくちばら)などたくさんある。
菊の代表的な名字である菊池は全国に約29,000軒あり、菊地は約32,000軒ある。そのほとんどが茨城県北部から東北地方に分布している。
菊池と菊地のルーツは、肥後国(現在の熊本県菊池市)で、平安時代に肥後国菊池郡の武士が菊池を名乗ったのが始まりである。
菊池氏は武力に優れ大いに活躍した。南北朝時代において、後醍醐天皇の南朝に味方し、東北地方まで派遣されて戦闘に参加しましたが、結局敗北してしまう。その時、東北地方各地に散った菊池氏の一部が、菊地に変えたと言われている。
理由は、「このまま菊池を名乗っていては敵から追われ命が危ない」と感じ、「池」を「地」に変え菊地にしたとされている。
なお、「地」の「つちへん」を武士の「士」に見立て、今は農民になり身を潜めているが、やがて再び「士(武士)」に「也(な)」り活躍するとの意味が込められている。