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倭王の新説に心酔! 吉備・楯築墳丘墓(たてつきふんきゅうぼ)に見る古代倭王の軌跡倭王の新説に心酔! 【古墳ライターが旅した、見た、聞いた!vol.1】

吉備国(きびのくに)に突如現れた、巨大墳丘墓の被葬者(ひそうしゃ)とは?

 去る1月28日、岡山大学にて行われた「楯築(たてつき)ルネッサンスフォーラム2023」の基調講演に登場した歴史学者・国立歴史民俗博物館教授の松木武彦氏。いやはや、その内容が衝撃的で面白く、後日、松木氏にお話を伺った。

 楯築墳丘墓とは倉敷市にある弥生時代後期(2世紀中頃)に築造された全長約80m、当時の国内最大級の墳丘墓だ。

 丘陵の狭い尾根上に築造(ちくぞう)され、江戸時代には「楯築神社」になっていた。本殿はなく、岩の祠(ほこら)を囲むように巨大な板石が立ち並び、静謐(せいひつ)で濃厚な「気」が満ちている。遺跡の真ん中、円形のあたりに微かなマウンドが見られ、そこにどんと給水塔の建っているのが異様な光景だ。

前方後円墳出現を予感させる墳丘墓
楯築墳丘墓は真ん中の円形部分に対抗する位置に、二つの突出部(とっしゅつぶ)を持つ。この形状が後の前方後円墳につながると考えられている。松木氏は大阪大学の院生として第五次発掘調査に参加した時、南西部で花崗岩(かこうがん)の大きな板石の列石(れっせき)を発見した。「列石が遥か向こうまで続いているのを見て、この墓の主は只者(ただもの)ではない!」と震えるような感覚で直観したという。
【図①】楯築墳丘墓復元図

 最新の調査報告書では、並び立つ巨大な板石の近くに、木のポールが立てられ、さらに殯(もがり)のための施設もあったのではないかという(【図1】参照)。「墳丘墓の上に聖なる空間をかたちづくり、おそらく、この墓の主のために壮大な祭祀(さいし/儀式)が行われたのでしょう」

 また、驚くべきものも見つかっている。中心となる埋葬(まいそう)施設=主体部(しゅたいぶ)には、木槨(もっかく/木製の外枠)に囲まれた木棺(もっかん/木製の棺)があったと考えられる。その底にあたる部分に32㎏もの大量の朱(しゅ/水銀朱という赤い鉱石)の層が見つかったのだ。「32㎏もの量は尋常ではない。赤という色は生命や太陽、辟邪(へきじゃ/邪悪なものを避ける)の色とされてきました。中国から届いた朱だったかもしれず、中国との関係も深い人物だったのかもしれません」

 ほかに、墳丘墓には二人の人物が埋葬されていることもわかっており、その詳細は今後の調査が待たれる。

倭王のルーツに迫るモニュメント築造の波

「日本列島では古代から権力や権威を『墓』によって示してきました。人が集まり、国家を立ち上げていく過程で、人心を一つにまとめるために、巨大なモニュメントの築造が不可欠だったのです。最も大きく立派な墓に、その時代の王=古代日本である倭国(わこく)の王が葬られたと考えるのが自然ではないでしょうか」

 日本におけるモニュメント築造の歴史には、3つの波があったと松木氏はいう。

 第一波が紀元前1世紀頃の北部九州の甕棺墓群(かめかんぼぐん)だ。甕棺とは素焼きの甕を棺にしたもの。大量の鏡や青銅(せいどう)の武器など豪華な副葬品が入っている大型の甕棺は、仮に北部九州の勢力を筑紫王権(つくしおうけん)と呼ぶとすれば、その王の墓と考えられる。その後に登場する有名なモニュメントが、卑弥呼(ひみこ)の墓といわれるヤマトの箸墓古墳(はしはかこふん)だ。「私は卑弥呼の墓は第三波で、北部九州とヤマトの間に第二波があり、それは中国の史書『後漢書(ごかんじょ)』に登場する『倭国王帥升(わこくおうすいしょう)』の墓ではないかと考えています。帥升がいた弥生時代後期後半において、ずば抜けた規模と内容を持つ墓は、楯築墳丘墓をおいて他には考えられません」

 松木氏の持論はこうだ。

 第一波が起きた九州は、倭人の社会の富や権力を集中させるには西にありすぎた。列島の真ん中あたり、東海道、東山道、瀬戸内ルート、さらに北陸や和歌山につながるルートが交差する十字路にヤマトがある。端っこの九州から中央のヤマトへと国の重心が移動する途中、いっとき中間の吉備の地に力を持つ王が現れ、列島を、九州とヤマトを牽制しつつ掌握した時期があったのではないか。その時の倭王こそ帥升であり、この偉大な王を葬ったのが空前絶後の墓として君臨する楯築墳丘墓というわけだ。

 また、三代目の倭王、卑弥呼の墓といわれるヤマトの箸墓古墳からは、楯築墳丘墓と同様の特殊器台(とくしゅきだい)という吉備独特の土器が見つかっている。「最初の前方後円墳といわれる箸墓古墳のデザインは楯築墳丘墓のデザインからの発展形であり、墳丘には楯築と同じように特殊器台を設(しつら)えています。卑弥呼の墓は、前王である帥升をリスペクトしつつ、その墓を参照して築造されたと考えることも可能です」

 ヤマト王権へと繋がっていく倭王三代の軌跡をなんと大胆に、鮮やかに切り取った倭王説だろう。九州とヤマトの間に燦然と輝く楯築墳丘墓。そこに隠されているものは、日本の国家成立過程の謎をも含んで、あまりにも深く、壮大過ぎる。

【話を聞いた人】国立歴史民俗博物館 教授 松木武彦さん
大阪大学大学院文学研究科修士課程修了。岡山大学文学部教授を経て、現職。専攻は日本考古学。「全集日本の歴史1列島創世記」(小学館)でサントリー学芸賞受賞。その他、著書多数。

写真提供:岡山大学考古学研究室(【写真①】、【写真②】、【図①】)

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郡 麻江

こおり・まえ 古墳ライター。 時々、添乗員。京都在住。得意な伝統工芸関係の取材を中心に、「京都の人、モノ、コト」を主体とする仕事を続けながら、2018年、ライフワークと言えるテーマ「古墳」に出会う。同年、百舌鳥古市古墳群(2019年世界遺産登録)の古墳ガイドブック『ザ・古墳群 百舌鳥と古市89基』(140B)、『都心から行ける日帰り古墳 関東1都6県の古墳と古墳群102』(ワニブックス)を取材・執筆。古墳や古代遺跡をテーマに、各地の古墳の取材活動を続ける。その縁で、添乗員の資格を取得。古墳オタクとして、オン・オフともに全国の古墳や遺跡を巡っている。日本旅のペンクラブ会員。

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